久しぶりの東京

文章塾の師、岳真也先生の新作「家康と信康 ー 父と子の絆」の出版祝賀を兼ねた『虎希の会』があって、ほぼ3年ぶりに東京へ行ってまいりました。この会はもともとは脱原発志向の会で、会長が岳先生、名誉会長が元総理大臣の菅直人さんで、おふたりが古稀を迎えられた年に発足したものです。菅さんは相変わらずお若く、活気があって、驚かされました。政治家さんというのは、普通の人たちより心身ともにパワフルなようです。それでこそ、という思いを強くいたしました。

帰りの新幹線では、さっそく新作を読み始めましたが、(これは!・・・)まだ途中ですので、最後まで読みましたら改めて記事に書きますね。

 

さて、東京は西新宿のいつもの「嵯峨野」さんで開かれた会に、なんと、私は遅刻してしまいました。充分すぎるほど時間のゆとりはあったのですが、先にホテルに寄って大きな荷物を置いて、少し休んでから行こうとしたら、そのホテルの部屋の時計が45分も遅れていたんです。焦りましたよー。結局、15分の遅刻でした。

先生、弟子のくせに、ごめんなさい。🙇‍♀️

ともあれ、会では、また新しい人たちと知り合うことができました。三田文学編集主任の岡絵里奈さんや、ツイッターでお見かけしていた都築隆広さんとも同じテーブルでした。FBのお友達で、岳先生の最も古く長い読者さん・岳真也文学研究家の井澤賢隆さんにお声をかけていただいたのも、嬉しいことでした。

 

また、この機会に東京の人たちに奥三河を知っていただいて、できれば足を向けていただこうと、「奥三河遠州ひとり応援隊」の私は、頑張って宣伝してきましたよ。ちょうど、湯谷のHAZUさんからお預かりしていたパンフレットがありましたので、それをお配りしたら、「ああ、良さそうなところだなぁ。おい、こういう田舎に行ってのんびりしようよ」などというお言葉も聞けました。しめしめ。😁

というわけで、いろいろな方との交流で、あっという間に時が経ってしまい、写真を撮るのを忘れました。それだけが残念です。

 

二次会には、その昔、名だたる作家さんたちが多く訪れたという新宿の文壇バー「Buru」に、岳先生が連れていってくださいました。そこでは、久しぶりに会えた「かがく塾」のメンバーとゆっくり話ができて、それが一番嬉しかった!💕

ここでは写真もしっかり撮りました。

「松本さん、こんどの歴史小説は、いい感じですね」

「そう? 緋野さんにそう言ってもらえると、ちょっと自信が湧くなぁ」

「緋野さん、どこから出版したの?」

「大内さん、大病から生還できて良かったね」

などと、話しあっているところですが、会の皆様のお顔を無断で公開できず、残念ながら掲載できません。

早くコロナが普通の疾病並みになって、また岳先生の事務所で「かがく塾」を開けたらいいのに、と思いながら帰ってきした。

ちなみに、「ただいま東京プラス」のキャンペーン中で、とってもお得な東京行でしたよ。✌️

 

田舎に引き籠りの私がこうして東京まで出て来て、小説・出版関係の方たちに出会って、仲間を得て、いろいろなお話を聞くのも、まあ、千里の道の一歩ではあるのかなぁと思います。道筋をつけてくださったのは、亡くなられたリトル・ガリヴァー社の編集長・富樫庸さんです。

離れても家族

記事の間がすっかり空いてしまいました。何かと気忙しい時期に入りまして・・・などと、いちおう言い訳などして(笑)・・・さて、前回は初秋の津軽旅行のお話でしたが、今回は晩秋の、滋賀の家族に会いに行ったお話です。

 

長男一家がこの冬、アメリカに移住することになり、滋賀の家での最後の団欒を楽しんできました。改めて眺めてみると、丘から見下ろす琵琶湖の景色は(特に夜は)とても美しく、さすがは古の都です。せっかく手に入れたこの家を、あっさり人手に渡して去るとは、潔いものだと半ば感心するやら、呆れるやら。

 

それでも若い人たちは、前へ進むことを選んだようです。

移住先はテネシー州チャタヌーガ。やっぱり、水と緑のある所が好きなんですね。

 

 

 

 

滋賀では、楽しく食卓を囲み、公園でボール遊びをしたり、散歩をしたり、庭の落ち葉で焼き芋をしたりして過ごしました。

 

 

 

息子一家が浜松から大津に行ってしまった時も寂しかったですが、日本にいないと思うと、いっそう残念な気がします。今年のお正月はどんなものになるのでしょう?

次に会えるのは、夏休みかな?

でも、離れていても家族。心はいつも繋がっています。新しい世界でも、元気に暮らしていてくれればいいと思うこのごろです。

津軽の旅(2日目)

津軽の旅の2日目です。

不老不死温泉から12湖へ。エメラルドグリーンの湖も良かったですが、青湖の青さといったら、まさに神秘でした。目

いつまでも見ていたいという未練を振り切って、千畳敷海岸へ。朝の海は、日没頃の海とは、また違った表情をしていました。海岸へ降りる人は少なく、歩いていると、気持ちがのびのびしてきます。

そして弘前へ。弘前の「ねぶた村」では、壮麗なねぶたの迫力と津軽三味線の音色に心惹かれました。なぜか、津軽の海や岩木山に、雪の降りしきる光景が目に浮かんできました。

 

 

嬉しいお便り

大学時代の学友から便りが届きました。私の新作を読んでくれたとのことです。ご感想はAmazonのレヴューだけでなく、これまでも、いろいろな形でいただいていましたが、手紙でいただくというのは、その方の近況もよく分かって、また別の嬉しさがあるものです。

せっかく褒めていただいたので(笑)、感想部分のみを抜粋してご紹介させていただきます。

 

遅ればせながら、「時鳥たちの宴」の感想をお送りします。

まず、丁寧な描写が印象的でした。

大学3年の1年間が、季節の移ろいとうまく関連させて描かれていると思いました。抑制的でありながら、心の様を言葉で表現し尽そうとする姿勢に、「あなたは真面目ですか」と問われているような気がしました。理知的に、真面目に、愛と恋を描いた小説に、大変好感を持ちました。

 

2006年10月16日の京都新聞の文化欄に、精神分析学者の立木康介氏が、「社会を覆う『デビリテ』」と題してーー私たちは今日、”本来なら心の中にしまっておくべきことを語ること” をもてはやす文化のなかに身をおいているのではないか。ーーという言葉から始まるコラムを書いていました。印象的だったので切り抜いておきましたが、言うまでもなくその傾向は強まるばかり。でもやはり、心は大切なものをしまっておくべき場所のはず。

作品冒頭の、「それはもう、ずっと昔、インターネットも携帯電話もなく、誰もが、あらゆるものに直に触れて、辺りに漂う幽かなものを五官に感じながら暮らしていた時代のこと」という、お伽話を語るような文に、現代への批評を感じました。

 

我々の学生時代を背景に描かれているのには驚きました。描写のあちこちに当時の香りを感じました。大学紛争の名残は寮ではまだ色濃く、悩み多い毎日の中で、一番疎かにしていたのは学問だったと思います。懐かしさは後悔や辛さとセットです。過去を丁寧に思い出す作業は、自らの痛みと対峙することでもあります。強靭な精神をもっていらっしゃるからこそ、小説家になれるのですね。

 

作品の感想というよりも、私自身の話が多くなってしまいました。しかし、私にとっては、自身との対話を強いられた作品であったということです。

緋野さんのご活躍を、滋賀の地から応援しています。   K.A

 

 

私は強靭な精神など持ってはいません。ただ、自分の人生で出会った課題に、自分なりの答えを出したくて、書き続け、考え続けているだけです。ともあれ、K.Aさんのお便りには多々、励まされました。

また、本を読んで感想を書くということは、読む人が、自分自身を書くということでもある、という思いを強くしました。K.Aさんだけでなく、これまで多くの方々に、いろいろな視点からのご感想をいただきましたが、それらのご感想を読ませていただくことで、私は読者さん、ひとり、ひとりに、出会えた気がしています。

「ああ、この方は、そこに、そのように感じられたのか」と、その方独自の視線を感じることは、私にとって新鮮であり、喜びでした。

K.Aさん、それから、ご感想をくださった他の皆様にも、心から感謝しています。 ありがとうございました。

 

 

 

 

津軽の旅

「歳をとって、何かいいことがありますか?」と聞かれたことがあります。

私は、「もちろん、ありますとも」とお答えしました。

それは、いつでも旅ができること。しかも、現役時代より圧倒的にお安く、観光地もお宿も空いていて、その上、出会う人たちが、若い頃より優しく丁寧に接してくれるような気がします。これぞ加齢の功名というものでしょう。

と、いうわけで、せっせと格安旅を拾って出かける私であります。

この度は、津軽へ行ってまいりました。そう、津軽と言えば、太宰さんの故郷ですよね。でも、斜陽館には行きませんでした。昔の津軽の家の造りを見るのも悪くはないと思いましたが、少々遠かったですし、作家の住まいなんぞに行ってみても、さして面白いこともないですからね。

 

津軽は広いです。青森空港からレンタカーで中西部を走りましたが、3泊4日では、とても回りきれませんでした。

一日目は、まず、「鶴の舞橋」。津軽富士見湖に架かる全長300メートルの、日本一長いという木造三連太鼓橋です。横から見ると、羽を広げた鶴の姿にも似ていました。橋の向こうには、津軽富士と呼ばれる岩木山(いわきさん)が、雲の衣を纏って聳え立っています。この地の人々の信仰を集めてきた美しい山です。

 

     

 

     

 

次は、追良瀬川を遡った山奥に、ひっそりと立つ「見入山観音堂」。

観光地ではなく、あくまで信仰の地ということでしょうか、案内の看板もなくて、少し道に迷いました。

梵字を掲げた鳥居をくぐって、薄暗い山道を登っていったのですが、かなり急な道が長々と続き、体力不足の私は果たして行きつけるのか、もう無理かもと思うほど息が上がってしまいました。最後は、「辿りつけたならば、どうか・・・・」と心の中に願をかけながら登っていました。

 

     

 

そして、辿り着いたのが、このお堂です。崖の岩の中に、すっぽりと嵌るように建っています。どうやって、こんなところに建てることができたのでしょうか?

 

     

 

     

 

中には入れませんでしたが、もし入れたなら、一晩、ここで座禅してみたいものだと思いました。きっと怖くなってしまうでしょうけど・・・。

     

 

身体はすっかり疲れてしまいましたが、えも言われぬ満足感がありました。

 

津軽の海に溶けていく夕陽を眺めながら、五能線に沿って走り、その夜は不老不死温泉で疲れを癒しました。写真は翌朝の、誰もいない時に撮ったものです。

 

 



残り7点!……皆様に感謝 ❣

りんごちゃん から「時鳥たちの宴」にレヴューをいただいていましたので、💕ご紹介させていただきます。

 

「 恋愛の本質に迫ろうとする青春群像」(Amazon

「作中に描かれていた登場人物の描写や背景に、懐かしさを覚えました。各章のタイトルにも趣があり、たびたび登場する短歌も物語の進行に効果的だと思いました。

タイトルの「時鳥たちの宴」はこの小説の内容に実にピッタリとはまりますね。作中の七日月夜の宴では、平安の幻想的な美しさ、神秘さ、妖艶さが伝わってきました。あの場所に自分も身を置いてみたいと思ったほどです。

恋愛における愛を、真摯に求めていく主人公たちに爽やかな風を感じました。蜜柑の香りと共に。」

 

りんごちゃん、ありがとうございました。🙇‍♀️

 

夏休みの喧騒が終わって、久しぶりにAmazonを覗いてみましたら、……え!! 😲

まだ、ずいぶん売れ残っているのでは? と思っていたのですが、「残り7点」と表示されていました。残り7点……案内状は80枚くらいしか出せず、あとは、FBと、ツイッターと、ブログでのご紹介だけだったのに、よく売れたなぁと驚きました。

私の把握できていないところで、多くの方が読んでくださっていたのだと思うと、静かな感動がこみ上げてきます。

きっと、お寄せいただいたレヴューの効果でしょう。しみじみ有難く、レヴューをくださった方にも、読んでくださった方にも、お一人、お一人に、お礼を言いたい気持ちです。

ほんとうに、ありがとうございました。🙇‍♀️

 

Amazonからだけの出版は、あまりに間口が狭く、失敗だったかな? と思い始めていましたが、皆さまのお蔭で、今回の試みは、なんとか成功したようです。

 

 

思いがけない出会い

あ、そうそう、先日、家族で訪れた天文台(スターフォレスト御園)で、思いがけない出会いがありました。私の11年前の著書「沙羅と明日香の夏」が、食堂の一角に置かれていたんです。この天文台も小説の舞台になっているからでしょう。
何人か、読んでくださった方があるようで、本の小口が手の跡で変色し、帯は千切れかけて、テープで辛うじて止めてありました。

私の知らないところで、小説はひとりで、誰かに語りかけていたんですね。

胸がじんとしました。

 

   

出版当時にいただいた三人の方の推薦文が帯に載っていて、その面影が懐かしく思い出されました。天文台のある東栄町の教育長さんの推薦文だけ、ちょっと紹介させていただきますね。

 

「多感な青年期、悩み、時に自己嫌悪・自己否定に陥りながらも、自分らしさを大事に、自分に合った生き方を探すことの大切さに気づいていく沙羅と明日香。 そして、二人をとりまく少年たち。
舞台は、豊かな自然と歴史の宝庫の奥三河。 さらに御園の天文台とそこにある六十センチ望遠鏡から見る宇宙への夢とロマン。 物語は女性作家ならではの、美しく繊細な描写で、知らず知らずのうちに読者を引き込んでいき、感動させる。」

 

ありがたいお言葉です。出版社さんが廃業されましたので、絶版になってしまいましたが、ネット書店にはまだ、古書がいくらか残っているようですし、電子書籍にもなっています。興味を持っていただけましたら、ぜひ、ご一読を。