小説

書き上げた。

新しい小説を書き上げた。題材が古いし、技法的に目新しいものもない。ただ真っ直ぐに書いた。ドキドキ・ワクワクの仕掛けが流行る時代に、どれだけの読者さんが得られるか分からないけれど、この作品はこれでいい。 長年の課題に、また一つけじめがついて、…

久しぶりの東京

文章塾の師、岳真也先生の新作「家康と信康 ー 父と子の絆」の出版祝賀を兼ねた『虎希の会』があって、ほぼ3年ぶりに東京へ行ってまいりました。この会はもともとは脱原発志向の会で、会長が岳先生、名誉会長が元総理大臣の菅直人さんで、おふたりが古稀を…

涸沢にて

炎暑の夏ももう終わりです。残暑はまだありますが、自然は正直なもので、ツクツクボウシにミンミンゼミ、谷川の冷たさ(もう泳げません)、風の涼しさ、ショウロトンボ・・・どれも秋の訪れを知らせてくれています。 この夏、山に登られた方はみえますか? …

幻の青い花を見たことがありますか?

猛暑が続いていますが、皆様お元気でしょうか? 久々の掌小説です。爽やかな初夏のころの、少し幻想的なお話で涼んでいただけたらと思います。 これは文章塾「かがく塾」の第2回に提出した作品です。 「青い花」 緋野晴子 その駅に降り立つと、どこかで不如…

肩書を持たない人間でしたが

前記事からすっかり間が開いてしまいました。 何をお話していいか分からないほどたくさんのことがありましたが、シンプルに主な出来事を挙げてみますと、 1.実家の耐震補強工事 ・・・8月初めの耐震診断から3か月半、先日ようやく終わりました。 2.新し…

やっと会えた!「青い鳥のロンド」レヴュー」

6月に出版した「青い鳥のロンド」、もう一般書店にはなくネット書店だけで販売されていますが、久しぶりにレヴューをいただきました。 どなたからいただいたレヴューもとても嬉しかったのですが、今回はまた特別に嬉しかったです。 なぜなら、この小説はこう…

小説の森で - 11.文学は何ができるか (3)

さて、クラルテに招かれた6人の小説家の中で、最も的確で分かりやすく述べているのはシモーヌ・ド・ボーヴォワール。彼女の言葉を要約しておこう。 <シモーヌ・ド・ボーヴォワール> 哲学教師 → 作家、サルトルの協力者 「人はみな他人と共有しない個人的…

小説の森で - 11.文学は何ができるか (2)

父の一周忌があり、記事の間が開いてしまいました。最近、急に寒くなって、家の近くの花の木はもう紅葉しかけています。今年は冬が早いかもしれません。小説の森は、近年もうずっと冬ですけれどもね。 ******************* 文学の力とは…

小説の森で - 11.文学は何ができるか (1)

今から半世紀も前のこと。フランスの学生機関紙「クラルテ」が、当時活躍していた6人の作家を招いて「文学は何ができるか」というテーマで討論会を開いたそうだ。その時の記録がたいへん面白い。その六人の作家の主張にしばし耳を傾け、各人の文学論を要約し…

小説書きの卵さんたちに

「青い鳥のロンド」にレヴューをくださったブログの友人 池ちゃん から、こんどは小説執筆上のアドバイスをいただきました。 こつこつと孤独に小説を書いてみえる小説書きの卵の皆様にも、ご参考になるかもしれませんので、公開させていただきます。 こんに…

次々と来る「青い鳥のロンド」レヴュー

次作の執筆に取りかかっている緋野ですが、9月に入ってからパタパタとレヴューが届きます。出版からすでに3か月、どうして今? と思いましたら、どうやら書店で注文してくださった方たちのようです。出版のご案内を送ったのが確か7月の中旬だったと思いま…

小説の森で - 10.文学にノーベル賞はそぐわない

家じゅうの開け放った窓を、9月の清涼な風が吹き抜けていく。 秋が来た!出版騒動の夏は終わったのだ。できるだけのことはしたのだから、もう十分だ。売れ残った本は出版社に返っていくだろう。「さあ、書くのだよ」と、小説の森が私を呼んでいる。自分の場…

小説の森で - 9.誰に向かって書くのか?

「青い鳥のロンド」は、読者の感想にずいぶん差のある小説だった。感想に差があること自体は悪いことではないと思う。それは作品の幅というものでもある。けれど、作者緋野の意図した肝心なものは、読む人すべてに伝わっていただろうか? 緋野の魂はすべての…

小説の森で - 8.小説の命

菊池寛がこう言ったことがあります。 「作品がうまいと思いながら心を打たれない、まずいと思いながら心を打たれることがある」と。その言葉に接した時、それは結局どちらも優れた小説とは言えないということだと、私まず思ったのですが、それだけでは片付け…

小説の森で - 7.小説の面白さ

「青い鳥のロンド」の出版で日々が慌ただしく過ぎ、はや一箇月にもなる。出版というのはいつも、いやな疲れを伴うものだ。それはたぶん、物書きとしての本来の努力とは違う努力を強いられるからだろう。それが長く続くと、私はいったい何をやっているんだろ…

大海に光る砂粒を投げる

文学小説を書いて発表するということは、まるで大海原に向かって、小さな砂粒を投げ込むかのようなささやかな行為だけれども、ひとりの人間としての世界に対する存在証明なのだと思って書いてきましたが、その小さな砂粒を貝が拾って、それを核にして真珠を…

小説の森で - 6.書くことの第一義

自分はなぜ書くのだろう? と心の底に問うてみる。 私は作品をひとつ仕上げるごとに、その分だけ自分の中が整理され軽くなって、 この世が生きやすく楽しいものになっていくように感じてはいないか? 書くこと の第一義は、つまりここにあるような気がする。…

小説の森で - 5.小説という芸術

さて、今回は、小説という芸術の特性について確認しておこう。 小説という芸術の最も大きな特徴は、文字(言葉)という媒体を介さなければ、 どんな感覚も刺激されないということだろう。文字や言葉を知らない人にとって は、その時点ですでに享受できない芸…

小説の森で - 4.芸術であるということ

小説を芸術の一種であると初めに宣言したのは坪内逍遥。以来、純文学と呼ばれ る小説には今日までずっと芸術性というものが要求されている。そも、芸術が芸術 である資格とは何なのか? それは、「作品そのものとしては現されていない何かが鑑賞者の内に感覚…

小説の森で - 3.読み物と文学の境界

純文学小説、大衆小説、中間小説、歴史小説、ノンフィクション小説、推理小説、 探偵小説、SF小説、ファンタジー小説、恋愛小説、冒険小説、童話小説、大人 向け童話小説、ライトノベル・・・・実に多くの小説らしきものが氾濫している現 代。この中で、純…

小説の森で - 2.文学としての小説

さて、天下の最高学府の堂々たる文学士・坪内逍遥様が、人情世態などを描く という庶民小説に手を染めた時、世間の驚きはいかほどだっただろうと想像す ると面白い。文化とは常に、旧来の常識(思い込み)を打ち破って進化するも のだという好例だろう。 逍…

小説の森で - 1.異形の森

文学の樹を探し求めて、小説の森に迷い込んでしまってから、早、12年が経 とうとしている。この森はなんと深いのだろう。直立した木に、くねった木、ご つごつした木や、つるつるした木、スリムに佇む木もあれば、繁り放題の木もあ って、その上この世なら…

セイラと呼んでください

初めまして。 私は 銀河の旅人 sailor in galaxy です。 今、地球で小説を書いています。 これからこのブログで、私の見た地球人の姿と、それを描く小説というものについてお話しし ていこうと思います。 sailor をとって、セイラー か セーラー と呼んでい…