「青い鳥のロンド」に辛口レヴューをいただきました
ブログの友人 池ちゃん が、緋野晴子著「青い鳥のロンド」にレヴューを書いてくださったというので、喜んで見に行きました。 すると・・・え?
「なんてつまらない話なのだろう」 ですって? ムムムム・・・辛口。 ・・・・? 辛口・・・? え?
どんなレヴューでも読者さんからいただいたレヴューは緋野の宝物。 池ちゃんのお許しを得て、こちらにそのまま掲載させていただくことにしました。
この本は、先日ブロ友であるセイラさんが出版された、「たった一つの抱擁」「沙羅と明日香の夏」に続く3冊目の作品です。
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ほんとうに幸せなのは誰なのか?
幸せの条件とは何か? 青い鳥はいるのか?
就職氷河期の中でなんとか思いどおりの道を切り開き、仕事も結婚も手に入れた4人の勝ち組女たち。
夢を追う菜摘子を取り巻く人々、ある日忽然と現れた栄の魔女と夢子さん。
30歳を迎えた彼女たちを待っていたものは・・・。
今を生きる男女に、幸福の真の意味を問う現代小説。(舞台は名古屋市 栄)
あなたは青い鳥が見えますか?
「一番好きだった人と、幸せの奪い合いをしている」菜摘子
「心の震えは何物にも代え難いわ。ああ、生きているって思う」百音
「他の人たちにも何か不幸があったらいいのに……」夢子
「何だかんだ言っても、私たちはそれでも勝ち組なのよね」翔子
「オマエは空っぽだって、喉の奥から嫌な声を出して笑うの」麗
「フッ、フッ、夢は掴んだとたんに消えてなくなるシャボン玉」 栄の魔女
「暗闇の中で、君と僕のことを想って泣いた」 護
今を生きる男女に、幸福の真の意味を問う。
2017年5月30日発売
「青い鳥のロンド」 緋野晴子著(リトル・ガリヴァー社)1,296円
詳しくはヤフーブログ「明日につづく文学」をご覧ください
https://blogs.yahoo.co.jp/sailoringalaxy/40980799.html
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ストーリーとは全く関係ない話ではあるが…。
「なんてつまらない話なのだろう」
57歳の男である私にとって、その内容は興味をそそるものでは無かった。恐らくは、この世の男、さらに年齢を重ねれば重ねる程に同じ印象を受けるであろうし、仕事から帰った時にこのような内容を妻が話したならば、右から左へ聞き流すか、あるいは耳の痛い話に「明日にしてくれ」と逃げるに違いない。
しかし、しかしである。
この本を女性が読んだら共感し、色々な感情が渦巻くのではないか。
男にとっては"どうでもよい話"であっても女性は違う。幸せの色も形も男と女では全く違うのだ。
例えば、他人と自分を照らし合わせるという"男にとってくだらない事"も、女性には"とても重要な事"であったりする。
また、「それでじゅうぶん満足じゃないか」という男の感覚も、「それはそうだけど」という、また別の"満たされぬ何か"が女性にはあったりする。
特別に何か不満があるわけではない、問題があるわけでもない。でも…。ただ…。
この漠然とした小さな感覚の相違が日常で繰り返されるうちに、妻は夫に対して「理解されていない」という不満が積みあがるのではないだろうか。
主人公は様々な個性の友人・女性に対し、パッと見は大きく感情を動かされることなく対峙する。
きっと男はこう思うだろう。「別に何も感じてないんじゃない?」
本当にそうなのだろうか。
おだやかに会話する心の奥底で、静かに様々な感情が渦巻いているのではないだろうか。
嫉妬、羨望、後悔。時には不愉快、鬱陶しさ、違和感、恨み、もどかしさ、嫌悪感、心の隔たり。
男には全く読み取れないが、女性はそれを嗅覚的に読み取り、敏感に反応するのであろう。
ところで、表紙の"青い鳥"が半分空に同化して鮮明に見えないのは諷喩なのだろうか。
プラトンならこう言うかもしれない。
「結局は"青い鳥"など存在しない。心の鏡であり、その時の自分を映し出す。見つけたと思った瞬間から形を変え、また新たな"青い鳥"が空を舞う。故に人は永遠に青い鳥を探すのだ」
主人公は青い鳥を見つける事が出来たのか、あるいは見つけられなかったのか。
見つけたと思った青い鳥は本当の青い鳥なのだろうか。ゆえにその色がはっきりと見えないのだろうか。
様々な人生においての"青い鳥"。私の悪い癖、深読みでしょうかね…。
この本では日常の風景が美しく描かれ、スムーズに物語が流れます。
冒頭に書いたように「つまらない」と感じる男こそ、この本を読むべきでしょう。
放棄したくなるタイプの男は女性の心理が分からず、いつの間にかパートナーの心が離れてしまっているかもしれません。「まさか」は自覚が無い所から発生するのですから。
この本を読み、何気ない会話から女性は何を感じるのか"女性の本質"を感じ取りましょう。頭の良い方であればきっと分かるはずです。
そして理解してからまた読み直すと、複雑で複合的な感覚や心理も読み取れるでしょう。
すると、、、。
知らぬ間に心が離れそうになっていたパートナーの思いが分かり、危機を脱することもあるかもしれません。
でも、もしあなたが女性なら、何も考えずに共感できる一冊です!
この小説は、いわゆる感動ものではありません。ストーリーとは関係ないこと(自分のことなど)をいろいろ考えたくなるのが、この作品の特徴のようです。実に様々な感想が私の元に届いています。
男性、特に年配の方のご感想はどうも芳しくありませんね。男性にとっては心理的体験のない話であり、自分には関係ないと感じられるからでしょうか。妻が夫と無関係ではあり得ないように、男性にとっても実は無関係な話ではないのですけれどね。
逆に、30代~50代の女性には、たいへん深刻に受け止められています。「仕事・夫・家庭とどう向き合うかは、待ったなしの問題です」と。
それにしても、こんなにきっぱりと男女の評が割れるとは・・・。
人口の半分である女性にとって深刻な人生問題が、男性にとってはどうでもよい、つまらない話と捉えられるところに、この国の抱えている根深い闇があると、今回の小説に寄せられてくるレヴューを通して、改めてそう思いました。
それにしても池ちゃん、共感できる心理体験のない作品に、よくこれだけたくさん書いてくださったものです。
ありがとうございました。
小説の森で - 7.小説の面白さ
「青い鳥のロンド」の出版で日々が慌ただしく過ぎ、はや一箇月にもなる。出版というのはいつも、いやな疲れを伴うものだ。それはたぶん、物書きとしての本来の努力とは違う努力を強いられるからだろう。それが長く続くと、私はいったい何をやっているんだろう? という、一種の鬱気分になる。だからきょうは少し小説の森に戻って、心を休めてこようと思う。
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小説の森に朝陽が差しこんで、木々の梢に溜まった白露が美しく輝いている。それぞれの作家の魂のようだ。ああ、やっぱりここはいい。もしもこの森がなかったならば、人生はどんなに味気なく孤独なものだったろうか。この異形の森はまた、魂の救いの森でもあるのだ。
人々が小説を好んで読むのは、そこに「面白さ」というものがあるからだろう。けれど、それがどんな面白さかは、一言で括れるものではない。「青い鳥のロンド」への読者評の違いの大きさを見るにつけ、そのことを考えざるを得ない。きょうはそのあたりを紐解いてみることにしよう。
小説の面白さというものを、いくつかあげてみる。
1.共感・癒しの面白さ
人は本来的に孤独な生き物で、独りが辛くて寂しいものだから、登場人物や小説世界に共感できるということはとても嬉しいことで、「自分だけではない」と感じることが面白さにつながる。緋野の知人には、小説に「救われた」と言う人もいた。太宰治や村上春樹のような、時代や世代の心性を代表したような作品がよく売れるのは、こういう面白さがあるためだろう。
2.未体験の世界への興味
例えば古いところでは、広津柳浪『黒蜥蜴』。平凡な生活においては理解しがたい、特異な人間の心理を解釈してみせる小説。湊かなえの『告白』などもここに入るだろうか。
そこまで特異でなくとも、数ある私小説や伝記的小説、ファンタジー、歴史物など、ほとんどの小説が持っている基本的な面白さはこれだろうと思う。その程度に違いがあるだけだ。
3.詩的(美的)世界への陶酔とカタルシス
小説は言葉を使った美術品であり、芸術によるカタルシスを旨とする、という明確な価値意識を持った作品群がある。元祖は森鴎外さん。『舞姫』以下の三部作がそれだ。近年では宮本輝の『泥の河』なども、鴎外の浪漫とは趣きが異なるけれども、やはりこの系列に属すると思う。
これらの作品の特徴は、もう圧倒的に悲劇であることが多いということだ。人は悲しみの多い生き物で、悲劇的な詩情に陶酔することには、自己の悲しみを和らげる作用がある。
4.精神への刺激の面白さ
小説世界が投げかけてくるものによって読者の精神の均衡が乱され、思わず自己や世界やその関係を見つめなおしたくなるという面白さ。芸術的なところでは深沢七郎『楢山節考』、近年では川上未映子『ヘヴン』などがそれに当たるだろうか。あとは、芥川龍之介・豊島与志雄・菊池寛など、新赤門派と呼ばれた人たちのテーマ小説がそれだろう。
5.ストーリーのうねりの面白さ
物語の複雑さと言い換えてもいいかもしれない。入り組んだ人間関係や波乱万丈の面白さだ。代表選手は、それはもうなんと言っても谷崎潤一郎だろう。「細雪」などそれしかない小説だと思うけれども、人は結局、そういう世間のごたごた話が好きなのだ。それが洗練された文体で書かれているから、ついつい読まされてしまう。職人的なもの書きだと思う。
そういえば、谷崎と芥川との間で論争になったことがあった。谷崎が『饒舌録』の中で創作について、「嘘のことでないと面白くない。素直なものよりヒネクレタもの、無邪気なものより有邪気なもの、出来るだけ細工のかかった入り組んだものを好く」と書いているのに対し、芥川は谷崎を、奇抜な筋にとらわれすぎると批判し、『文芸的な、余りに文芸的な』の中で、「小説の価値は話の長短や奇抜さで決まるものではない。・・・肝心なのは、その材料を生かす為の詩的精神の如何、深浅である。話らしい話のない小説は、あらゆる小説中、最も詩に近い小説である。最も純粋な小説である」と言っていた。私は芥川のいう詩的小説のほうが好きだが、さて、一般読者はどう感じるだろうか。
ともあれ、ストーリーのうねりの持つ面白さを否定することはできないだろう。
6.謎解きの面白さ
謎というのはどうしても知りたくなるのが人間で、そのために次々とページをめくることになる。言うまでもなく推理小説・探偵小説の面白さはそれだ。これらの主眼は謎解きや推理だから、文学からは最も遠い小説だろう。最近は謎解きと人生観照を兼ねた中間的な小説が増えたようだけれども、謎解き・推理の比重のほうが高いければ、それらはやはり詩(芸術)にはならない。
ちなみに私は、解かれないままに残る小さな謎というものが好きだ。この世界そのものが謎に満ちているように、解かれずに残る謎は、小説世界の奥行きを広げてくれるように思う。
7.現実への興味
山崎豊子さんと言えば、誰もが、ああ確かにと、理解するのではないだろうか。彼女の小説を、私はそれこそむさぼるように読んだ。そして、もっとも面白い小説は、もっとも現実に近い小説だという思いを強くした。しっかりした取材に裏打ちされたノンフィクション的小説には迫力がある。目に見える事実の奥に隠されている膨大な真実が、小説世界を通して手にとるように分かるというのは、とても面白いものだ。
ただし、取材した事実に比重がかかりすぎると、それは小説にはならない。山崎さんの小説にも正直なところその傾向は感じている。『沈まぬ太陽』を読んだ時、彼女は小説家というよりも、基本的に記者なのだと思った。小説としては物足りないものがある。
8.奇抜性・意外性への興味
「夜は短し歩けよ乙女」という変わった小説が賞を取ったことがあった。奇想天外なありえない話と、単純なことをいちいち大仰に表現する、まるで大学生の言葉遊びを思い出させるような奇抜な文体で、500枚も書き抜いたあの饒舌には脱帽する。もちろん、奇抜だっただけではない。青春と言う馬鹿げた季節の面白みの中に、誰にも覚えのある恋の純情が、胸に届く作品だった。
けれど、何ということもないテーマで、普通に書けば、きっと注目されなかったことだろう。話や表現の奇抜さを、人はやはり面白いと思うのだ。ラストのどんでん返しの手法なども、これに入るだろう。
近年の小説はどんどんこの方向に傾いているような気がするが、私は、これは新しいというより復古だなと思って眺めている。江戸時代の南総里見八犬伝のような、戯作の方向だ。商業主義時代の小説大衆化は、結局ここに行き着くのだろうか。
9.作家その人への興味
その作家の感性・思考内容に刺激され、そこに面白みを感じるという、エッセイ小説などがその一つだろう。夏目漱石や、現代では万城目学さんの小説などもそれに当たるかもしれない。こうした、作者の主観を盛り込んだ小説は、武者小路が漱石の作品について指摘したように、読者が出来事から直接受ける主観より作者の主観のほうが優れている、もしくは特殊である場合にのみ成立する書き方である。作家その人の内面の魅力に負うところが大きく、底の浅い者がまねをして書いたり、主観の織り込み所を誤ったりすれば、読むに耐えないものになることだろう。
また日本文学の伝統であった私小説も、あれだけ読まれてきた大きな動機は、作家その人への興味だったのではないかと思う。かの時代の小説家たちには、己の事実を隠すことなく、大胆に、ありのままに、技巧を弄せず描くという、腹の据わったところがあった。岩野泡鳴などは、自己の生活そのものが芸術であるとまで言いきっている。けれど、作家たちは真剣に芸術だと思っていたようだけれども、これは読む側からすれば、人の生活の実態を覗くということであって、実はスキャンダル的な興味が大きかったのではないかと、私はひそかに思っている。
それにしても、『兎にも角にもこれが人間現在の実情だ』と、我が身の真実を臆せずぶつける私小説。その振り回す鉄棒の打撃力には、震撼せざるを得ない。事実の重みが強烈に迫ってくる、恐るべき小説だ。
ただ、それは一方で、誰かを傷つけることがあるかもしれない小説で、緋野晴子には一生書けそうもない。
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ということで、小説の面白さの要素を挙げてみたが、まだまだ他にもあるかもしれない。大衆小説や中間小説の木々が乱立しているこの森に、文学の樹を探す、あるいは植えようとする時、それが読まれる文学であるためには、これらの面白さを文学の中にどう織り込んでいけばいいのか、それが私のもっとも悩むところだ。
ともあれ、きょうは久しぶりに自分の場所に戻ってきたような気がして気分がいい。少しエネルギーが蘇ってきた。そうだ、小説は読まれるために書かれるのだから、「青い鳥のロンド」は、その読者さんたちの手に届けられなければならない。もう少し頑張ろう。
レヴューをいただきました!
「青い鳥のロンド」に最初のレヴューとご紹介をいただきました!
これが小説「青い鳥のロンド」です
ほんとうに幸せなのは誰なのか?
幸せの条件とは何か?
青い鳥はいるのか?
就職氷河期の中でなんとか思いどおりの道を切り開き、仕事も結婚も手に入れた4人の勝ち組女たち。 夢を追う菜摘子を取り巻く人々、ある日忽然と現れた栄の魔女と夢子さん。
30歳を迎えた彼女たちを待っていたものは・・・。
今を生きる男女に、幸福の真の意味を問う現代小説。
(舞台は名古屋市 栄)
あなたは青い鳥が見えますか?
「一番好きだった人と、幸せの奪い合いをしている」菜摘子
「心の震えは何物にも代え難いわ。ああ、生きている」百音
「他の人たちにも何か不幸があったらいいのに……」 夢子
「何だかんだ言っても、私たちは勝ち組なのよね」翔子
「オマエは空っぽだって、喉の奥から嫌な声を出して笑うの」 麗
「フッ、夢は掴んだとたんに消えてなくなるシャボン玉」 栄の魔女
「暗闇の中で、君と僕のことを想って泣いた」 護
2017年5月30日 ようやく発売となりました。
「青い鳥のロンド」 緋野晴子著 (リトル・ガリヴァー社)
* 全国書店でお求めいただけます。(ない場合は書店にご注文ください)
* 楽天ブックス・Amazon 等ネット書店にもございます。
* 庶民の味方、図書館でリクエストして、購入していただくこともできます。
愛知県では、以下の書店で、平積みになっていると思います。
名古屋 三洋堂書店 (込中 店)(塩釜店) ジュンク堂(名古屋店)
本の王国(中日書店) ちくさ正文館書店(本店)
ライブラリー大曽根店
豊 橋 豊川堂 (本店) (カルミア店) (アピタ向山店)
精文館 (本店)
豊 川 あおい書店
豊 田 くまざわ書店
刈 谷 くまざわ書店
知 立 夢屋書店
高 浜 三洋堂書店
新 城 愛新堂書店(ピアゴ店)
以下の書店にもあるようですが、何冊あるのか分かりません。ただ1冊で小説の
コーナーに立っているかもしれませんので、ようくお探しください。
店員さんに 「ありますか?」 と尋ねていただいたほうが早いかもしれませんね。
その他の書店にも配本されたようですが、私には行方がつかめません。
東 京 ジュンク堂 (立川高島屋店)(大泉学園店)(池袋店)
(渋谷店)(日本橋店)(新宿京王店)
文教堂 (赤羽店)
宮 城 丸善 (仙台アエル店)
千 葉 丸善 (柏モディ店)(南船橋店)(津田沼店)
神奈川 文教堂 (溝ノ口本店)
名古屋 ジュンク堂 (名古屋栄店) 丸善(本店)
大 阪 ジュンク堂 (大阪本店)(難波店)(梅田店)丸善 (八尾アリオ店)
京 都 丸善 (本店)
奈 良 ジュンク堂 (奈良店)
神 戸 ジュンク堂 (三宮店)
姫 路 ジュンク堂 (姫路店)
緋野晴子の3作目です。お読みになってみてください。 す
小説「青い鳥のロンド」(緋野晴子) ついに発売!
「青い鳥のロンド」緋野晴子著
今を生きる男女に、幸福の真の意味を問う現代小説。
あなたは青い鳥が見えますか?
ヤドカリ生活で思うように動けず、肝心な本の画像がまだUPできません。(涙)