小説の森で - 7.小説の面白さ

「青い鳥のロンド」の出版で日々が慌ただしく過ぎ、はや一箇月にもなる。出版というのはいつも、いやな疲れを伴うものだ。それはたぶん、物書きとしての本来の努力とは違う努力を強いられるからだろう。それが長く続くと、私はいったい何をやっているんだろう? という、一種の鬱気分になる。だからきょうは少し小説の森に戻って、心を休めてこようと思う。

 

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  小説の森に朝陽が差しこんで、木々の梢に溜まった白露が美しく輝いている。それぞれの作家の魂のようだ。ああ、やっぱりここはいい。もしもこの森がなかったならば、人生はどんなに味気なく孤独なものだったろうか。この異形の森はまた、魂の救いの森でもあるのだ。

 

 人々が小説を好んで読むのは、そこに「面白さ」というものがあるからだろう。けれど、それがどんな面白さかは、一言で括れるものではない。「青い鳥のロンド」への読者評の違いの大きさを見るにつけ、そのことを考えざるを得ない。きょうはそのあたりを紐解いてみることにしよう。

小説の面白さというものを、いくつかあげてみる。

 

  1.共感・癒しの面白さ

  人は本来的に孤独な生き物で、独りが辛くて寂しいものだから、登場人物や小説世界に共感できるということはとても嬉しいことで、「自分だけではない」と感じることが面白さにつながる。緋野の知人には、小説に「救われた」と言う人もいた。太宰治村上春樹のような、時代や世代の心性を代表したような作品がよく売れるのは、こういう面白さがあるためだろう。

 

 2.未体験の世界への興味

  例えば古いところでは、広津柳浪『黒蜥蜴』。平凡な生活においては理解しがたい、特異な人間の心理を解釈してみせる小説。湊かなえの『告白』などもここに入るだろうか。

そこまで特異でなくとも、数ある私小説や伝記的小説、ファンタジー、歴史物など、ほとんどの小説が持っている基本的な面白さはこれだろうと思う。その程度に違いがあるだけだ。

 

 3.詩的(美的)世界への陶酔とカタルシス

  小説は言葉を使った美術品であり、芸術によるカタルシスを旨とする、という明確な価値意識を持った作品群がある。元祖は森鴎外さん。『舞姫』以下の三部作がそれだ。近年では宮本輝の『泥の河』なども、鴎外の浪漫とは趣きが異なるけれども、やはりこの系列に属すると思う。

これらの作品の特徴は、もう圧倒的に悲劇であることが多いということだ。人は悲しみの多い生き物で、悲劇的な詩情に陶酔することには、自己の悲しみを和らげる作用がある。

 

 4.精神への刺激の面白さ

  小説世界が投げかけてくるものによって読者の精神の均衡が乱され、思わず自己や世界やその関係を見つめなおしたくなるという面白さ。芸術的なところでは深沢七郎楢山節考』、近年では川上未映子『ヘヴン』などがそれに当たるだろうか。あとは、芥川龍之介豊島与志雄菊池寛など、新赤門派と呼ばれた人たちのテーマ小説がそれだろう。

 

 5.ストーリーのうねりの面白さ

  物語の複雑さと言い換えてもいいかもしれない。入り組んだ人間関係や波乱万丈の面白さだ。代表選手は、それはもうなんと言っても谷崎潤一郎だろう。「細雪」などそれしかない小説だと思うけれども、人は結局、そういう世間のごたごた話が好きなのだ。それが洗練された文体で書かれているから、ついつい読まされてしまう。職人的なもの書きだと思う。

  そういえば、谷崎と芥川との間で論争になったことがあった。谷崎が『饒舌録』の中で創作について、「嘘のことでないと面白くない。素直なものよりヒネクレタもの、無邪気なものより有邪気なもの、出来るだけ細工のかかった入り組んだものを好く」と書いているのに対し、芥川は谷崎を、奇抜な筋にとらわれすぎると批判し、『文芸的な、余りに文芸的な』の中で、「小説の価値は話の長短や奇抜さで決まるものではない。・・・肝心なのは、その材料を生かす為の詩的精神の如何、深浅である。話らしい話のない小説は、あらゆる小説中、最も詩に近い小説である。最も純粋な小説である」と言っていた。私は芥川のいう詩的小説のほうが好きだが、さて、一般読者はどう感じるだろうか。

 ともあれ、ストーリーのうねりの持つ面白さを否定することはできないだろう。

 

 6.謎解きの面白さ

  謎というのはどうしても知りたくなるのが人間で、そのために次々とページをめくることになる。言うまでもなく推理小説・探偵小説の面白さはそれだ。これらの主眼は謎解きや推理だから、文学からは最も遠い小説だろう。最近は謎解きと人生観照を兼ねた中間的な小説が増えたようだけれども、謎解き・推理の比重のほうが高いければ、それらはやはり詩(芸術)にはならない。

 ちなみに私は、解かれないままに残る小さな謎というものが好きだ。この世界そのものが謎に満ちているように、解かれずに残る謎は、小説世界の奥行きを広げてくれるように思う。

 

 7.現実への興味

  山崎豊子さんと言えば、誰もが、ああ確かにと、理解するのではないだろうか。彼女の小説を、私はそれこそむさぼるように読んだ。そして、もっとも面白い小説は、もっとも現実に近い小説だという思いを強くした。しっかりした取材に裏打ちされたノンフィクション的小説には迫力がある。目に見える事実の奥に隠されている膨大な真実が、小説世界を通して手にとるように分かるというのは、とても面白いものだ。

 ただし、取材した事実に比重がかかりすぎると、それは小説にはならない。山崎さんの小説にも正直なところその傾向は感じている。『沈まぬ太陽』を読んだ時、彼女は小説家というよりも、基本的に記者なのだと思った。小説としては物足りないものがある。

 

 8.奇抜性・意外性への興味

 「夜は短し歩けよ乙女」という変わった小説が賞を取ったことがあった。奇想天外なありえない話と、単純なことをいちいち大仰に表現する、まるで大学生の言葉遊びを思い出させるような奇抜な文体で、500枚も書き抜いたあの饒舌には脱帽する。もちろん、奇抜だっただけではない。青春と言う馬鹿げた季節の面白みの中に、誰にも覚えのある恋の純情が、胸に届く作品だった。

 けれど、何ということもないテーマで、普通に書けば、きっと注目されなかったことだろう。話や表現の奇抜さを、人はやはり面白いと思うのだ。ラストのどんでん返しの手法なども、これに入るだろう。

 近年の小説はどんどんこの方向に傾いているような気がするが、私は、これは新しいというより復古だなと思って眺めている。江戸時代の南総里見八犬伝のような、戯作の方向だ。商業主義時代の小説大衆化は、結局ここに行き着くのだろうか。

 

9.作家その人への興味

    その作家の感性・思考内容に刺激され、そこに面白みを感じるという、エッセイ小説などがその一つだろう。夏目漱石や、現代では万城目学さんの小説などもそれに当たるかもしれない。こうした、作者の主観を盛り込んだ小説は、武者小路が漱石の作品について指摘したように、読者が出来事から直接受ける主観より作者の主観のほうが優れている、もしくは特殊である場合にのみ成立する書き方である。作家その人の内面の魅力に負うところが大きく、底の浅い者がまねをして書いたり、主観の織り込み所を誤ったりすれば、読むに耐えないものになることだろう。

  また日本文学の伝統であった私小説も、あれだけ読まれてきた大きな動機は、作家その人への興味だったのではないかと思う。かの時代の小説家たちには、己の事実を隠すことなく、大胆に、ありのままに、技巧を弄せず描くという、腹の据わったところがあった。岩野泡鳴などは、自己の生活そのものが芸術であるとまで言いきっている。けれど、作家たちは真剣に芸術だと思っていたようだけれども、これは読む側からすれば、人の生活の実態を覗くということであって、実はスキャンダル的な興味が大きかったのではないかと、私はひそかに思っている。

 それにしても、『兎にも角にもこれが人間現在の実情だ』と、我が身の真実を臆せずぶつける私小説。その振り回す鉄棒の打撃力には、震撼せざるを得ない。事実の重みが強烈に迫ってくる、恐るべき小説だ。

 ただ、それは一方で、誰かを傷つけることがあるかもしれない小説で、緋野晴子には一生書けそうもない。

 

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  ということで、小説の面白さの要素を挙げてみたが、まだまだ他にもあるかもしれない。大衆小説や中間小説の木々が乱立しているこの森に、文学の樹を探す、あるいは植えようとする時、それが読まれる文学であるためには、これらの面白さを文学の中にどう織り込んでいけばいいのか、それが私のもっとも悩むところだ。

ともあれ、きょうは久しぶりに自分の場所に戻ってきたような気がして気分がいい。少しエネルギーが蘇ってきた。そうだ、小説は読まれるために書かれるのだから、「青い鳥のロンド」は、その読者さんたちの手に届けられなければならない。もう少し頑張ろう。

読者さんの呟きから

ブログの友人 新上俊さん も「青い鳥のロンド」を読んでくださって、ご自分のブログに次のようなご感想を呟いて
 
みえました。 小説の主な登場人物は仕事を持った女性たちですが、女性でなくとも、労働現場には様々な立場
 
の人間がいて、働く人間の、仕事に対する心情ということに関しては男も女も違いはなく、共に十分ストレスフル
 
なのだと、村上さんの記事を読みながら改めて思いました。ですから、「青い鳥のロンド」は、性差にまつわること
 
を除いては、登場人物を男性に置き換えて読んでいただいてもよろしいかと思います。
 
では以下に、新上さんの記事(黒字)を引用させていただきます。
 
 
 理性の点から言うと私が言いたいことを書いているではないか、と思われる

 点がございました。そして私が会社勤めをしていた時に発した言葉と

 同じ言葉を見つけました。P81の最後から次頁について語られていた言葉です。
 
 これは、商社の営業最前線で働いていた翔子が、妊娠によって前線から後方の事務に配置換えされようとして
 
 いる時に、友人に語った言葉です。
 
 「後方だって必要な仕事だってことは分かっているわ。でも、契約書の和訳や、決まった文書の作成や、データ
 
 入力や、電話対応、・・・・定年までやっても同じことの繰り返しで、創造性ってものがないのよ。私にとって仕事
 
 をするというのは、そういうものじゃなかったの。目標をどこに置いたらいいのか、働く意味が見えないもの」
 
 
 私はゼネコンで海外の仕事をしていましたが当時建設会社では国内の仕事が忙しく、金がかかるだけで

 利益を出さない海外の仕事はお荷物扱いされ、ある意味邪魔者扱いされていて、ここで発せられた言葉と

 同じ気持ちになったのです。
 
 私は就職氷河期ではないですが、オイルショックによる不況下の中、2浪という年齢ハンデを負い、数十社
 
 から不採用となり、ひ弱で絶対入社したくなかった建設業界を、大学の就職部から「英語力がある学生を探
 
 している会社がある」と紹介され、面接を受け合格して進みました。一部上場会社に勤務していることを誇り
 
 に思いながらも、社内で日陰で勤務している思いを持ちながら働きました。
 
 
 新上さんはその後その会社を早期退職され、数十社に及ぶ転職を経験されたそうです。
 
 「青い鳥のロンド」のあとがきにも少し書きましたが、先進国の中で最も幸福感の低いグループに入るのが日
 
 本の正規雇用女性で、それより少しましなのが正規雇用男性です。日本の平均的な女性の幸福度は逆に高
 
 く、その差は世界一だそうです。
 
 ここから見えてくるものは何なのでしょうか? そんなことを改めて思ってみた緋野です。
 
 皆様も、小説「青い鳥のロンド」を通して、幸福な人間、幸福な日本人の在り方について、思いを巡らせてみて
 
 いただけたらと思います。
 
 
「青い鳥のロンド」 緋野晴子著 (リトル・ガリヴァー社) 1,296
 
 * 全国書店でお求めいただけます。 (店頭にない場合は書店にご注文ください)
 
 * 楽天ブックスAmazon 等ネット書店にもございます。
 
 * 庶民の味方、図書館でリクエスして、購入していただくこともできます。
 
  
 

レヴューをいただきました!

  「青い鳥のロンド」に最初のレヴューとご紹介をいただきました!

 
ブログの友人 てるてるさん からです♪ 
予約してくださった方のお一人で、いつも一番にレヴューをくださいます。前作「沙羅と明日香の夏」
と、「いつの日かきっと次作も出版しますので、出せたら読んでくださいね」「待っていますよ」と
いうお束をしていました。時折り温かいお声かけをしてくださって、6年間も待っていてくださった有
り難い方です。
ほんとうは出版直後くらいの早い時期にレヴューをいただいていて、早くご紹介したかったのですが、
100人近い予約者さんへの対応や、予約に尽力してくださった方々へのお礼や、父の初盆の準備、
母の一周忌などが重なって、ずいぶん遅くなってしまいました。てるてるさん、ごめんなさいね。
 
では、てるてるさんが記事にしてくださった、本の紹介とそのレヴューを、そのまま掲載させていただ
ます。
 
イメージ 1 
 
緋野さんはセイラさんというお名前のブログのお知り合いですが、今回3作目の出版になりました。待望の新作で、わくわくしながら読みました。
 
 
 
 
1作目「たった一つの抱擁」、2作目「沙羅と明日香の夏」に登場する明日香さんがここにも。主人公の姪っ子ですね。その時の記事はこちらです。http://blogs.yahoo.co.jp/takateru13/16222441.html 私の知っている母親とは 「たった一つの抱擁」
http://blogs.yahoo.co.jp/takateru13/34818082.html 変わっていくことを発見 「沙羅と明日香の夏」
 
 
 
「青い鳥」のものがたり。
大学のサークルの仲良し4人組が社会の荒海に勇気を持って漕ぎだして8年後、共に30歳となった四つ葉会が一堂に会します。
懸命に頑張ってきて、それぞれが仕事も家庭も手に入れた。私たち勝ち組?夢は実現した?幸せを掴んだ?
問いかける彼女たちの前に立ちはだかる現実の壁、思うようにいかないもどかしさ、夫との関係・・・こんなはずじゃなかった・・・。
主人公の菜摘子さんもまた、戸惑い悩み絶望的な思いを感じてしまう。
そんな彼女の前に現れたふたりの人物、「栄の魔女」もしくは「栄の貴婦人」、そして明るい夢子さん。
そのふたりとのふれあいとともに、主人公の周囲が踊り始めます・・・。4人は、幸せの青い鳥を見つけることができるのでしょうか・・・?
 
ああ、素敵なお話ですね♪
読みながら、お話の世界に飛び込んでいきます。
男には耳の痛い(?!)指摘も・・・す、すまん!
ラストのシーン、わたしは違う風景を想像していました。あれは夢子さん?
嬉しくて、も一回読ませていただきました。
 
余談・・・、タイトルで検索したら韓流ドラマが・・・。でも、このタイトル、ずいぶん前から言ってましたよね。ちょっと気の毒、間違って買っちゃう人がいたら、それはいいこと。よい出会いになりますよ。
舞台となった名古屋の栄、テレビ塔を初めて観たとき、きっと東京タワーみたいなのを作ったのだが、地盤が弱くズブズブと・・・って、昔ブログに書きました。
す、すまん!
 
 
そうなんですよね。韓流ドラマより2年も前から「青い鳥のロンド」っていうタイトルを公表していて、
うすればこのタイトルは奪われないだろうと思っていたんですけど、甘かったようです。
検索すると韓流ドラマの洪水で、その3ページめくらいにやっと私の小説が挟まっていました。その
後もやっぱりドラマです。覚悟はしていましたけれど、こうやって埋もれてしまっているのを見ると、
予想以上に悲しいものですね。 次作のタイトルもすでに公開したことがありますが、これからはも
う内緒にしておこうと思った緋野です。
 
 (栄のテレビ塔に関する発言は・・・「け、けしからん!」     名古屋の住人代表 セイラ)
 
てるてるさんのおっしゃった 「ああ、素敵なお話ですね」 「ラストのシーン、わたしは違う風景を」とい
うのがどういう意味か、皆さまご自身目で確かめていただけましたら幸いです。
 
てるてるさん、本当にありがとうございました。 
 

これが小説「青い鳥のロンド」です

            青い鳥のロンド


  ほんとうに幸せなのは誰なのか?   

  幸せの条件とは何か? 
                               
  青い鳥はいるのか?
 
                   

就職氷河期の中でなんとか思いどおりの道を切り開き、仕事も結婚も手に入れた4人の勝ち組女たち。 夢を追う菜摘子を取り巻く人々、ある日忽然と現れた栄の魔女夢子さん。
30歳を迎えた彼女たちを待っていたものは・・・。
今を生きる男女に、幸福の真の意味を問う現代小説。 

                          (舞台は名古屋市 栄)
                                                                          
                                                                                                         
    あなたは青い鳥が見えますか?

「一番好きだった人と、幸せの奪い合いをしている」菜摘子

「心の震えは何物にも代え難いわ。ああ、生きている」百音

「他の人たちにも何か不幸があったらいいのに……」 夢子

「何だかんだ言っても、私たちは勝ち組なのよね」翔子

「オマエは空っぽだって、喉の奥から嫌な声を出して笑うの」 麗

「フッ、夢は掴んだとたんに消えてなくなるシャボン玉」  栄の魔女

「暗闇の中で、君と僕のことを想って泣いた」  護




2017年5月30日 ようやく発売となりました。

「青い鳥のロンド」 緋野晴子著 (リトル・ガリヴァー社) 


* 全国書店でお求めいただけます。(ない場合は書店にご注文ください)

* 楽天ブックスAmazon 等ネット書店にもございます。

* 庶民の味方、図書館でリクエスして、購入していただくこともできます。


愛知県では、以下の書店で、平積みになっている思います。

名古屋  三洋堂書店 (込中 店)(塩釜店)  ジュンク堂(名古屋店)
     本の王国(中日書店)  ちくさ正文館書店(本店) 
     ライブラリー大曽根

豊  橋  豊川堂 (本店) (カルミア店) (アピタ向山店)
       精文館 (本店)

豊  川  あおい書店

豊  田  くまざわ書店

刈  谷  くまざわ書店

知  立  夢屋書店

高  浜  三洋堂書店

新  城  愛新堂書店(ピアゴ店)



以下の書店にもあるようですが、何冊あるのか分かりません。ただ1冊で小説の

コーナーに立っているかもしれません
ので、ようくお探しください。

店員さんに 「ありますか?」 と尋ねていただいたほうが早いかもしれませんね。

その他の書店にも配本されたようですが、私には行方がつかめません。 


東 京  ジュンク堂 (立川高島屋店)(大泉学園店)(池袋店)
             (渋谷店)(日本橋店)(新宿京王店)

           文教堂 (赤羽店)

宮 城  丸善 (仙台アエル店)

千 葉  丸善 (柏モディ店)(南船橋店)(津田沼店)

神奈川  文教堂 (溝ノ口本店)

名古屋  ジュンク堂 (名古屋栄店) 丸善(本店)

大 阪  ジュンク堂 (大阪本店)(難波店)(梅田店)丸善 (八尾アリオ店)

京 都  丸善 (本店)

奈 良  ジュンク堂 (奈良店)

神 戸  ジュンク堂 (三宮店)

姫 路  ジュンク堂 (姫路店)   



緋野晴子の3作目です。お読みになってみてください。   す                                                        

小説「青い鳥のロンド」(緋野晴子) ついに発売!


 「青い鳥のロンド」緋野晴子著
                 (リトル・ガリヴァー社)1,296円

   ほんとうに幸せなのは誰なのか?
      幸せの条件とは何か?
               青い鳥はいるのか?
                    
 就職氷河期の中でなんとか思いどおりの道を切り開き、仕事も結婚も手に入れた4人の勝ち組女たち。夢を追う菜摘子を取り巻く人々、ある日忽然と現れた栄の魔女夢子さん。
30歳を迎えた彼女たちを待っていたものは・・・。
今を生きる男女に、幸福の真の意味を問う現代小説。
                 ( 舞台は 名古屋市 栄 )

                        
           あなたは青い鳥が見えますか?
 
「一番好きだった人と、幸せの奪い合いをしている」      菜摘子
「心の震えは何物にも代え難いわ。ああ、生きている」   百   音
「他の人たちにも何か不幸があったらいいのに……」    夢   子
「何だかんだ言っても私たちはそれでも勝ち組なのよ」      翔   子
「オマエは空っぽだって、喉の奥から嫌な声を出して笑うの」 麗
「フッ、フッ、夢は掴んだとたんに消えてなくなるシボン玉」
                          栄の魔女
「暗闇の中で、君と僕のことを想って泣いた」        護 
 
 
2017年5月25日 ようやく発売となりました。
  * 全国書店でお求めいただけます。
                       (店頭にない場合は書店にご注文ください) 
  * 楽天ブックスAmazon 等ネット書店にもございます。
                         (レヴューをぜひお願いします)
  * 庶民の味方、図書館でリクエスしてください。
  
 
 愛知県では以下の書店で平積みされていると思います。
 
   名古屋    三洋堂書店 (込中 店)(塩釜店)  
         ジュンク堂(名古屋店) 
         本の王国(中日書店) 
         ちくさ正文館書店(本店) 
                      ライブラリー大曽根
 
   豊  橋  豊川堂 (本店)(カルミア店)(アピタ向山店)
         精文館 (本店)
 
   豊  川  あおい書店 
   豊  田  くまざわ書店
   刈  谷       くまざわ書店
   知  立  夢屋書店
   高  浜  三洋堂書店
 
  以下の書店にもあるようですが、何冊あるのか分かりません。
ただ1冊で小説のコーナーに立っているかもしれませんので、ようくお探しください。書店員さんに 「ありますか?」 と尋ねていただいたほうが早いかもしれませんね。
その他の書店にもあると思いますが、私には行方がつかめません。
 
   東 京  ジュンク堂 (立川高島屋店)(大泉学園店)
                                                (池袋店)(渋谷店)(日本橋店)
              (新宿京王店)
        文教堂 (赤羽店)
 
   宮 城  丸善 (仙台アエル店)
 
   千 葉  丸善 (柏モディ店)(南船橋店)(津田沼店)
 
   神奈川    文教堂 (溝ノ口本店)
 
   名古屋    ジュンク堂 (名古屋栄店) 丸善(本店)
 
   大 阪  ジュンク堂 (大阪本店)(難波店)(梅田店)  
                             丸善 (八尾アリオ店)
 
   京 都  丸善 (本店)
   奈 良  ジュンク堂 (奈良店)
   神 戸  ジュンク堂 (三宮店)
   姫 路  ジュンク堂 (姫路店)      
 

ヤドカリ生活で思うように動けず、肝心な本の画像がまだUPできません。(涙)
                                      緋野晴子の3作目です。どうぞ、お読みになってみてください。

闘っています

今、「青い鳥のロンド」の書店営業真っ最中です。 ここが一番辛いところです。

 もう、足が痛くて、肩凝って、頭はぼうっとして・・・疲れた。はぁ。

 苦戦していると言うべきか、それなりに健闘していると言うべきか、分かりません

 が、とにかく疲れます。

 でも、まだ頑張ります。やるだけのことはしておかなくちゃ、後に後悔が残ります

 から。

 そんなわけで、ブログも書けていません。

 千里の道の何歩めかも、あとで考えることにします。

 ひとまずご報告でした。

 (はぁ・・・眠いのに熟睡もできない)

大海に光る砂粒を投げる

文学小説を書いて発表するということは、まるで大海原に向かって、小さな砂粒を
投げ込むかのようなささやかな行為だけれども、ひとりの人間としての世界に対す
る存在証明なのだと思って書いてきましたが、その小さな砂粒を貝が拾って、それ
を核にして真珠を作ってくれることもあるようです。

 昨日、たまたまTVで教育系の番組を見て、はっとしました。そこでは「空気によ
るいじめ」が話し合われていたからです。
「空気によるいじめ」・・・ 6年前、私が「沙羅と明日香の夏」で取り上げたいじ
めの姿です。空気によるいじめは、いじめている側の自覚・罪悪感が非常に薄く、
現象としても見えにくいので、それと気づかれないまま深刻化し、自殺や引きこも
りの原因にもなっているようです。

 また、その「空気に流される」という現象は、単に子どもの世界だけのことではな
く、日本社会の現代病だと私は思っています。 年齢層によって幾分の違いはあ
るでしょうが、「空気を読む」ことが非常に大きな価値のように言われ、空気に逆
らう言動をする人が蔑視されたり疎外されたりするようになったのは、いったいい
つからだったのでしょうか? 少なくとも昭和の時代まではそうでもなかったように
思うのですが、気がついたら日本人はそうなってしまっていました。

特に若者たちは、言葉で自分の考えを伝え合うより、皆まで言わずに空気で会話
していると常々感じています。 
「これ良くね?」と聞き、「ああ」とか、「いいんじゃ

ね?」とか、「だよね」と答え、「思う」という言葉は使いません。
ことの善悪に関わらずリーダー的な存在が場の空気を決め、その空気に逆らうよ
うな言動は、周りの全員から「空気読めよ」のひと言で一蹴されてしまうのです。
他人との関係が希薄になり、他人に対して臆病かつ不寛容な社会が形成されて
いるようです。多様性は生物の大原則であり、生存のために欠かせない価値です。
それを認めることなしに人類の発展はありません。このまま、自分の考えがはっき
り言えない、追随型の人間ばかりが増えていけば、日本はどんどん衰退の一途を
辿っていくでしょう。

 「沙羅と明日香の夏」は、生きることに迷った若者たちの魂の再生を描いた青春
小説ですが、その中に出てくる「空気によるいじめ」に教育界の三人の先生方が
頷いてくださり、推薦してくださいました。また200人ほどの先生方が購入してくだ
さって、「空気によるいじめ」という私の投げた砂粒を受け止めてくださいました。
けれどもその後のことは分からず、「空気」の問題はどうなったのだろうと思ってい
ましたら、昨日の教育番組です。
「空気によるいじめ」の問題が正面から取り上げられ、議論されていました。人の
精神を圧迫するのは、特別な誰かの暴力や嫌がらせ等の直接行為だけではなく、
人を疎外し、いじめを傍観・許容する大衆の空気であることに、やっとメスが入れら
れ始めたのです。その大衆の精神構造を分析することは、やがていじめ問題を超
えて、日本人の弱さの分析と、日本社会の未来の展望へと進んでいくでしょう。
進んでいってほしいものだと思います。

 とにかく、ああ、やっとここまで来たかと思うと、しみじみ嬉しく感じられました。
 文学の掬い取れる真実はほんの小さなものです。その一作をこの世界に送り出
すことは、暗くうねる大海に光の砂粒を投げこむような、些細な抵抗かもしれませ
ん。それでも時には、どこかの貝が見つけてそれを核にして、真珠を作ってくれる

こともあるのですね。それを願って、私はまた書いていこうと思います。