読者さんの呟きから

ブログの友人 新上俊さん も「青い鳥のロンド」を読んでくださって、ご自分のブログに次のようなご感想を呟いて
 
みえました。 小説の主な登場人物は仕事を持った女性たちですが、女性でなくとも、労働現場には様々な立場
 
の人間がいて、働く人間の、仕事に対する心情ということに関しては男も女も違いはなく、共に十分ストレスフル
 
なのだと、村上さんの記事を読みながら改めて思いました。ですから、「青い鳥のロンド」は、性差にまつわること
 
を除いては、登場人物を男性に置き換えて読んでいただいてもよろしいかと思います。
 
では以下に、新上さんの記事(黒字)を引用させていただきます。
 
 
 理性の点から言うと私が言いたいことを書いているではないか、と思われる

 点がございました。そして私が会社勤めをしていた時に発した言葉と

 同じ言葉を見つけました。P81の最後から次頁について語られていた言葉です。
 
 これは、商社の営業最前線で働いていた翔子が、妊娠によって前線から後方の事務に配置換えされようとして
 
 いる時に、友人に語った言葉です。
 
 「後方だって必要な仕事だってことは分かっているわ。でも、契約書の和訳や、決まった文書の作成や、データ
 
 入力や、電話対応、・・・・定年までやっても同じことの繰り返しで、創造性ってものがないのよ。私にとって仕事
 
 をするというのは、そういうものじゃなかったの。目標をどこに置いたらいいのか、働く意味が見えないもの」
 
 
 私はゼネコンで海外の仕事をしていましたが当時建設会社では国内の仕事が忙しく、金がかかるだけで

 利益を出さない海外の仕事はお荷物扱いされ、ある意味邪魔者扱いされていて、ここで発せられた言葉と

 同じ気持ちになったのです。
 
 私は就職氷河期ではないですが、オイルショックによる不況下の中、2浪という年齢ハンデを負い、数十社
 
 から不採用となり、ひ弱で絶対入社したくなかった建設業界を、大学の就職部から「英語力がある学生を探
 
 している会社がある」と紹介され、面接を受け合格して進みました。一部上場会社に勤務していることを誇り
 
 に思いながらも、社内で日陰で勤務している思いを持ちながら働きました。
 
 
 新上さんはその後その会社を早期退職され、数十社に及ぶ転職を経験されたそうです。
 
 「青い鳥のロンド」のあとがきにも少し書きましたが、先進国の中で最も幸福感の低いグループに入るのが日
 
 本の正規雇用女性で、それより少しましなのが正規雇用男性です。日本の平均的な女性の幸福度は逆に高
 
 く、その差は世界一だそうです。
 
 ここから見えてくるものは何なのでしょうか? そんなことを改めて思ってみた緋野です。
 
 皆様も、小説「青い鳥のロンド」を通して、幸福な人間、幸福な日本人の在り方について、思いを巡らせてみて
 
 いただけたらと思います。
 
 
「青い鳥のロンド」 緋野晴子著 (リトル・ガリヴァー社) 1,296
 
 * 全国書店でお求めいただけます。 (店頭にない場合は書店にご注文ください)
 
 * 楽天ブックスAmazon 等ネット書店にもございます。
 
 * 庶民の味方、図書館でリクエスして、購入していただくこともできます。
 
  
 

レヴューをいただきました!

  「青い鳥のロンド」に最初のレヴューとご紹介をいただきました!

 
ブログの友人 てるてるさん からです♪ 
予約してくださった方のお一人で、いつも一番にレヴューをくださいます。前作「沙羅と明日香の夏」
と、「いつの日かきっと次作も出版しますので、出せたら読んでくださいね」「待っていますよ」と
いうお束をしていました。時折り温かいお声かけをしてくださって、6年間も待っていてくださった有
り難い方です。
ほんとうは出版直後くらいの早い時期にレヴューをいただいていて、早くご紹介したかったのですが、
100人近い予約者さんへの対応や、予約に尽力してくださった方々へのお礼や、父の初盆の準備、
母の一周忌などが重なって、ずいぶん遅くなってしまいました。てるてるさん、ごめんなさいね。
 
では、てるてるさんが記事にしてくださった、本の紹介とそのレヴューを、そのまま掲載させていただ
ます。
 
イメージ 1 
 
緋野さんはセイラさんというお名前のブログのお知り合いですが、今回3作目の出版になりました。待望の新作で、わくわくしながら読みました。
 
 
 
 
1作目「たった一つの抱擁」、2作目「沙羅と明日香の夏」に登場する明日香さんがここにも。主人公の姪っ子ですね。その時の記事はこちらです。http://blogs.yahoo.co.jp/takateru13/16222441.html 私の知っている母親とは 「たった一つの抱擁」
http://blogs.yahoo.co.jp/takateru13/34818082.html 変わっていくことを発見 「沙羅と明日香の夏」
 
 
 
「青い鳥」のものがたり。
大学のサークルの仲良し4人組が社会の荒海に勇気を持って漕ぎだして8年後、共に30歳となった四つ葉会が一堂に会します。
懸命に頑張ってきて、それぞれが仕事も家庭も手に入れた。私たち勝ち組?夢は実現した?幸せを掴んだ?
問いかける彼女たちの前に立ちはだかる現実の壁、思うようにいかないもどかしさ、夫との関係・・・こんなはずじゃなかった・・・。
主人公の菜摘子さんもまた、戸惑い悩み絶望的な思いを感じてしまう。
そんな彼女の前に現れたふたりの人物、「栄の魔女」もしくは「栄の貴婦人」、そして明るい夢子さん。
そのふたりとのふれあいとともに、主人公の周囲が踊り始めます・・・。4人は、幸せの青い鳥を見つけることができるのでしょうか・・・?
 
ああ、素敵なお話ですね♪
読みながら、お話の世界に飛び込んでいきます。
男には耳の痛い(?!)指摘も・・・す、すまん!
ラストのシーン、わたしは違う風景を想像していました。あれは夢子さん?
嬉しくて、も一回読ませていただきました。
 
余談・・・、タイトルで検索したら韓流ドラマが・・・。でも、このタイトル、ずいぶん前から言ってましたよね。ちょっと気の毒、間違って買っちゃう人がいたら、それはいいこと。よい出会いになりますよ。
舞台となった名古屋の栄、テレビ塔を初めて観たとき、きっと東京タワーみたいなのを作ったのだが、地盤が弱くズブズブと・・・って、昔ブログに書きました。
す、すまん!
 
 
そうなんですよね。韓流ドラマより2年も前から「青い鳥のロンド」っていうタイトルを公表していて、
うすればこのタイトルは奪われないだろうと思っていたんですけど、甘かったようです。
検索すると韓流ドラマの洪水で、その3ページめくらいにやっと私の小説が挟まっていました。その
後もやっぱりドラマです。覚悟はしていましたけれど、こうやって埋もれてしまっているのを見ると、
予想以上に悲しいものですね。 次作のタイトルもすでに公開したことがありますが、これからはも
う内緒にしておこうと思った緋野です。
 
 (栄のテレビ塔に関する発言は・・・「け、けしからん!」     名古屋の住人代表 セイラ)
 
てるてるさんのおっしゃった 「ああ、素敵なお話ですね」 「ラストのシーン、わたしは違う風景を」とい
うのがどういう意味か、皆さまご自身目で確かめていただけましたら幸いです。
 
てるてるさん、本当にありがとうございました。 
 

これが小説「青い鳥のロンド」です

            青い鳥のロンド


  ほんとうに幸せなのは誰なのか?   

  幸せの条件とは何か? 
                               
  青い鳥はいるのか?
 
                   

就職氷河期の中でなんとか思いどおりの道を切り開き、仕事も結婚も手に入れた4人の勝ち組女たち。 夢を追う菜摘子を取り巻く人々、ある日忽然と現れた栄の魔女夢子さん。
30歳を迎えた彼女たちを待っていたものは・・・。
今を生きる男女に、幸福の真の意味を問う現代小説。 

                          (舞台は名古屋市 栄)
                                                                          
                                                                                                         
    あなたは青い鳥が見えますか?

「一番好きだった人と、幸せの奪い合いをしている」菜摘子

「心の震えは何物にも代え難いわ。ああ、生きている」百音

「他の人たちにも何か不幸があったらいいのに……」 夢子

「何だかんだ言っても、私たちは勝ち組なのよね」翔子

「オマエは空っぽだって、喉の奥から嫌な声を出して笑うの」 麗

「フッ、夢は掴んだとたんに消えてなくなるシャボン玉」  栄の魔女

「暗闇の中で、君と僕のことを想って泣いた」  護




2017年5月30日 ようやく発売となりました。

「青い鳥のロンド」 緋野晴子著 (リトル・ガリヴァー社) 


* 全国書店でお求めいただけます。(ない場合は書店にご注文ください)

* 楽天ブックスAmazon 等ネット書店にもございます。

* 庶民の味方、図書館でリクエスして、購入していただくこともできます。


愛知県では、以下の書店で、平積みになっている思います。

名古屋  三洋堂書店 (込中 店)(塩釜店)  ジュンク堂(名古屋店)
     本の王国(中日書店)  ちくさ正文館書店(本店) 
     ライブラリー大曽根

豊  橋  豊川堂 (本店) (カルミア店) (アピタ向山店)
       精文館 (本店)

豊  川  あおい書店

豊  田  くまざわ書店

刈  谷  くまざわ書店

知  立  夢屋書店

高  浜  三洋堂書店

新  城  愛新堂書店(ピアゴ店)



以下の書店にもあるようですが、何冊あるのか分かりません。ただ1冊で小説の

コーナーに立っているかもしれません
ので、ようくお探しください。

店員さんに 「ありますか?」 と尋ねていただいたほうが早いかもしれませんね。

その他の書店にも配本されたようですが、私には行方がつかめません。 


東 京  ジュンク堂 (立川高島屋店)(大泉学園店)(池袋店)
             (渋谷店)(日本橋店)(新宿京王店)

           文教堂 (赤羽店)

宮 城  丸善 (仙台アエル店)

千 葉  丸善 (柏モディ店)(南船橋店)(津田沼店)

神奈川  文教堂 (溝ノ口本店)

名古屋  ジュンク堂 (名古屋栄店) 丸善(本店)

大 阪  ジュンク堂 (大阪本店)(難波店)(梅田店)丸善 (八尾アリオ店)

京 都  丸善 (本店)

奈 良  ジュンク堂 (奈良店)

神 戸  ジュンク堂 (三宮店)

姫 路  ジュンク堂 (姫路店)   



緋野晴子の3作目です。お読みになってみてください。   す                                                        

小説「青い鳥のロンド」(緋野晴子) ついに発売!


 「青い鳥のロンド」緋野晴子著
                 (リトル・ガリヴァー社)1,296円

   ほんとうに幸せなのは誰なのか?
      幸せの条件とは何か?
               青い鳥はいるのか?
                    
 就職氷河期の中でなんとか思いどおりの道を切り開き、仕事も結婚も手に入れた4人の勝ち組女たち。夢を追う菜摘子を取り巻く人々、ある日忽然と現れた栄の魔女夢子さん。
30歳を迎えた彼女たちを待っていたものは・・・。
今を生きる男女に、幸福の真の意味を問う現代小説。
                 ( 舞台は 名古屋市 栄 )

                        
           あなたは青い鳥が見えますか?
 
「一番好きだった人と、幸せの奪い合いをしている」      菜摘子
「心の震えは何物にも代え難いわ。ああ、生きている」   百   音
「他の人たちにも何か不幸があったらいいのに……」    夢   子
「何だかんだ言っても私たちはそれでも勝ち組なのよ」      翔   子
「オマエは空っぽだって、喉の奥から嫌な声を出して笑うの」 麗
「フッ、フッ、夢は掴んだとたんに消えてなくなるシボン玉」
                          栄の魔女
「暗闇の中で、君と僕のことを想って泣いた」        護 
 
 
2017年5月25日 ようやく発売となりました。
  * 全国書店でお求めいただけます。
                       (店頭にない場合は書店にご注文ください) 
  * 楽天ブックスAmazon 等ネット書店にもございます。
                         (レヴューをぜひお願いします)
  * 庶民の味方、図書館でリクエスしてください。
  
 
 愛知県では以下の書店で平積みされていると思います。
 
   名古屋    三洋堂書店 (込中 店)(塩釜店)  
         ジュンク堂(名古屋店) 
         本の王国(中日書店) 
         ちくさ正文館書店(本店) 
                      ライブラリー大曽根
 
   豊  橋  豊川堂 (本店)(カルミア店)(アピタ向山店)
         精文館 (本店)
 
   豊  川  あおい書店 
   豊  田  くまざわ書店
   刈  谷       くまざわ書店
   知  立  夢屋書店
   高  浜  三洋堂書店
 
  以下の書店にもあるようですが、何冊あるのか分かりません。
ただ1冊で小説のコーナーに立っているかもしれませんので、ようくお探しください。書店員さんに 「ありますか?」 と尋ねていただいたほうが早いかもしれませんね。
その他の書店にもあると思いますが、私には行方がつかめません。
 
   東 京  ジュンク堂 (立川高島屋店)(大泉学園店)
                                                (池袋店)(渋谷店)(日本橋店)
              (新宿京王店)
        文教堂 (赤羽店)
 
   宮 城  丸善 (仙台アエル店)
 
   千 葉  丸善 (柏モディ店)(南船橋店)(津田沼店)
 
   神奈川    文教堂 (溝ノ口本店)
 
   名古屋    ジュンク堂 (名古屋栄店) 丸善(本店)
 
   大 阪  ジュンク堂 (大阪本店)(難波店)(梅田店)  
                             丸善 (八尾アリオ店)
 
   京 都  丸善 (本店)
   奈 良  ジュンク堂 (奈良店)
   神 戸  ジュンク堂 (三宮店)
   姫 路  ジュンク堂 (姫路店)      
 

ヤドカリ生活で思うように動けず、肝心な本の画像がまだUPできません。(涙)
                                      緋野晴子の3作目です。どうぞ、お読みになってみてください。

闘っています

今、「青い鳥のロンド」の書店営業真っ最中です。 ここが一番辛いところです。

 もう、足が痛くて、肩凝って、頭はぼうっとして・・・疲れた。はぁ。

 苦戦していると言うべきか、それなりに健闘していると言うべきか、分かりません

 が、とにかく疲れます。

 でも、まだ頑張ります。やるだけのことはしておかなくちゃ、後に後悔が残ります

 から。

 そんなわけで、ブログも書けていません。

 千里の道の何歩めかも、あとで考えることにします。

 ひとまずご報告でした。

 (はぁ・・・眠いのに熟睡もできない)

大海に光る砂粒を投げる

文学小説を書いて発表するということは、まるで大海原に向かって、小さな砂粒を
投げ込むかのようなささやかな行為だけれども、ひとりの人間としての世界に対す
る存在証明なのだと思って書いてきましたが、その小さな砂粒を貝が拾って、それ
を核にして真珠を作ってくれることもあるようです。

 昨日、たまたまTVで教育系の番組を見て、はっとしました。そこでは「空気によ
るいじめ」が話し合われていたからです。
「空気によるいじめ」・・・ 6年前、私が「沙羅と明日香の夏」で取り上げたいじ
めの姿です。空気によるいじめは、いじめている側の自覚・罪悪感が非常に薄く、
現象としても見えにくいので、それと気づかれないまま深刻化し、自殺や引きこも
りの原因にもなっているようです。

 また、その「空気に流される」という現象は、単に子どもの世界だけのことではな
く、日本社会の現代病だと私は思っています。 年齢層によって幾分の違いはあ
るでしょうが、「空気を読む」ことが非常に大きな価値のように言われ、空気に逆
らう言動をする人が蔑視されたり疎外されたりするようになったのは、いったいい
つからだったのでしょうか? 少なくとも昭和の時代まではそうでもなかったように
思うのですが、気がついたら日本人はそうなってしまっていました。

特に若者たちは、言葉で自分の考えを伝え合うより、皆まで言わずに空気で会話
していると常々感じています。 
「これ良くね?」と聞き、「ああ」とか、「いいんじゃ

ね?」とか、「だよね」と答え、「思う」という言葉は使いません。
ことの善悪に関わらずリーダー的な存在が場の空気を決め、その空気に逆らうよ
うな言動は、周りの全員から「空気読めよ」のひと言で一蹴されてしまうのです。
他人との関係が希薄になり、他人に対して臆病かつ不寛容な社会が形成されて
いるようです。多様性は生物の大原則であり、生存のために欠かせない価値です。
それを認めることなしに人類の発展はありません。このまま、自分の考えがはっき
り言えない、追随型の人間ばかりが増えていけば、日本はどんどん衰退の一途を
辿っていくでしょう。

 「沙羅と明日香の夏」は、生きることに迷った若者たちの魂の再生を描いた青春
小説ですが、その中に出てくる「空気によるいじめ」に教育界の三人の先生方が
頷いてくださり、推薦してくださいました。また200人ほどの先生方が購入してくだ
さって、「空気によるいじめ」という私の投げた砂粒を受け止めてくださいました。
けれどもその後のことは分からず、「空気」の問題はどうなったのだろうと思ってい
ましたら、昨日の教育番組です。
「空気によるいじめ」の問題が正面から取り上げられ、議論されていました。人の
精神を圧迫するのは、特別な誰かの暴力や嫌がらせ等の直接行為だけではなく、
人を疎外し、いじめを傍観・許容する大衆の空気であることに、やっとメスが入れら
れ始めたのです。その大衆の精神構造を分析することは、やがていじめ問題を超
えて、日本人の弱さの分析と、日本社会の未来の展望へと進んでいくでしょう。
進んでいってほしいものだと思います。

 とにかく、ああ、やっとここまで来たかと思うと、しみじみ嬉しく感じられました。
 文学の掬い取れる真実はほんの小さなものです。その一作をこの世界に送り出
すことは、暗くうねる大海に光の砂粒を投げこむような、些細な抵抗かもしれませ
ん。それでも時には、どこかの貝が見つけてそれを核にして、真珠を作ってくれる

こともあるのですね。それを願って、私はまた書いていこうと思います。

小説の森で - 6.書くことの第一義

 自分はなぜ書くのだろう? と心の底に問うてみる。

 私は作品をひとつ仕上げるごとに、その分だけ自分の中が整理され軽くなって、

この世が生きやすく楽しいものになっていくように感じてはいないか? 書くこと

の第一義は、つまりここにあるような気がする。書く者たちはきっと、みんな自分

のために書いているのだ。それがどんな種類の小説であろうと、結局はそういうこ

となのだろうと思う。かの文豪、森鴎外さんも、「僕はどんな芸術品でも、自己弁

護(自己主張)でないものは無いやうに思ふ」と仰っていた。文学だけでなく、他

の芸術においてもそれは同じことなのかもしれない。

 緋野の場合は、ずっと昔に拾った課題を何十年も胸の底に抱えたまま、未解決の

ままに生きてきて、人生も下り坂に入った今頃になって、ようやく答えらしきもの

の姿がぼんやりと見え始めたように感じている。それが人生の折り返し地点で小説

を書き始めた理由だ。けれども、それを実際に小説の中に書き留めようとしてみる

と、答えは奇しくも茫洋と闇の中に霧散していくばかり。結局、小説を書くとは、

問うても問うても答えの出ない問いに、それでも答えを探し求める心の旅の、軌跡

を残すことなのだと思う。どこにどう辿り着くのか、その答えが未だ答えとは言え

ないようなものであっても、小説は私の中にひとつの足跡をつける。

その足跡を得ることによって、私は明日の一歩を探せるような気がするのだ。その

足跡の上に立って眺めてみれば、視界はきっと今よりもう少し開けてくるはず。

そう信じて一作、一作、難儀な旅を続けている。

 
 では、小説を書くことの第一義は自分のためにあるとして、次に自ずと生じてく

るのは、そうして自分のために書いた小説を、他人に読んでもらいたいというのは

いったい如何なる心理か? という疑問になる。

 つらつら考えてみると、それは結局のところ単純に、自分が描いた、自分だけが

見ている世界を、他の誰かにも一緒に見て欲しいという、ただそれだけに過ぎない

ような気がする。

 描かれた世界への共感やら感想やらは、実はたいした問題ではないのだ。読者の

精神に何らかの波紋を引き起こすことができれば、もちろんいっそう嬉しいには違

いないだろうけれども、それ以前にまず、書いて発表する者の心理の根底にあるも

のは、自分の目が捉えているものを他の誰かにも見てもらいたいという、ただそれ

だけなのではないだろうか。それは人間というものの孤独が生む、宿命的な願望な

のだろう。小説に限らず文学というものは、人間の孤独から生まれ、他者との繋が

りを求めて存在しているのだと、緋野は思う。


 そして、そのように書かれた作者それぞれの小説は、ちょうど今、この小説の森

を彩っている木々の花たちのようなものだろうか。一つとして同じ花はなく、その

うちのどの花がいちばん好きか、美しく見えるか、愛しく感じられるかは、見る人

(読者)それぞれの心の在りようによって違うもので、けっして順位のつけられる

ものではない。これは詩歌の世界でも同様で、新聞の歌壇・俳壇を眺めてみればよ

く分かる。四人の選者が十首ずつ優れた作品を選んでいるが、複数の選者に重複し

て選ばれる作品は、四十首のうちせいぜい一首か二首。文学とはそういうものなの

だろうと思う。

 けれどもまた、一見すれば形のよく似た花たちでも、生気の漲っている花か、水

不足で活気のない花か、はたまた造花かは、誰もが等しく見抜く。文学とはまた、

そういうものでもある。


 と、そんなことをとりとめもなく考えているうちに、森はもうすっかり日暮れに

なってしまったようだ。熱い珈琲でもいただきながら、美しい夕日を眺めることに

しよう。