幻の青い花を見たことがありますか?

猛暑が続いていますが、皆様お元気でしょうか?
久々の掌小説です。爽やかな初夏のころの、少し幻想的なお話で涼んでいただけたらと思います。
これは文章塾「かがく塾」の第2回に提出した作品です。
 
       「青い花
                          緋野晴子
 
 
 その駅に降り立つと、どこかで不如帰の鳴き声がした。四方をぐるりと囲んでいる新緑の山々は、初夏の陽光を反射してまぶしく光っている。僕は大きく息を吸い込んだ。肺の中まで樹木の黄緑色に染まりそうだった。
 
 そこは、静岡県西北部の山間地にある過疎化の進む小さな町。僕の祖先の眠る地だ。五代前の当主が何らかの理由でこの地を捨て、墓ごと東京(当時は江戸)に移住したと聞いている。学生生活を、あと一年足らず残すのみとなった僕は、ふと、自分のルーツを尋ねてみたくなったのだった。
 
 町役場で、伝え聞いていた古い住所を頼りに、それらしい場所の地図を貰った。親切な職員は、祖先に関する資料がないか調べておいてくれると言う。
 
 どうやら、かなり山奥らしい。そこへ行く人はもう誰もいないのだろう、一時間と歩かないうちに、杉林の間の道は、すでに道の形を失い始めていた。長い年月の間に両側からせり出してきた草木に覆われ、あるいは、道とおぼしき場所の真ん中に、大木がそそり立ったりしている。僕は登山用のナイフで潅木を切り払いながら、なんとか、かつての山道の痕跡を探していったが、そのうちとうとう、完全に道を見失ってしまった。
 
日は真上に昇っている。もはやここまでか? という考えが頭をかすめる。だが、切り株に腰掛けて握り飯を食べるうちに、僕の心は決まった。地図上のここまでの道のりを時間で割って、その距離をこの先の道の形に当てはめれば、およその見当がつくはずだ。行こう。
 
道なき道に、僕は足を踏み入れていった。だんだん山が深くなっていく。林立する杉は背丈を増し、真昼だというのに、周囲は夕方のように薄暗くなった。時おり不如帰の声が、密集した樹々の間を貫いて鋭く響く。そうしてまた、一時間ばかり歩いただろうか。
ふいに、視界に奇妙な違和感を覚えた。目の前の地面が、百平方メートルほどの範囲で、その周囲より少し窪んでいるようなのだ。と、見ると、一本の樹の脇に、小さな社があった。もしや、祖先のいた村落の跡では? 心躍り、駆け寄ろうとした、その時だった。つと、大きな古木の陰から、青い花が姿を現した。百合ほどの大きさで、形も少し似ているが、違う。暗い山の中で、燐を燃やしたような青々とした光を、花びらに宿している。吸い寄せられるように近づいてみると、確かに新種に違いないと思われた。こんな花は見たことがない。僕は根を掘りあげて持ち帰ろうと、思わず手を伸ばした。……だが、やめた。
 
花の前に座って、花をじっと見つめていると、花もこちらをじっと見つめているような気がしてくる。なんだかとても安らいだ心持ちになって、僕は何時間も、そのまま花の傍で過ごした。日が暮れてきても帰る気になれず、夜になったらあの社で寝ればいいと、ぼんやり考えているのだった。
 
やがて、あたりは闇に包まれた。真っ暗な社の中で、僕は少し後悔していた。月はあったが樹木に阻まれ、所々に細く淡い光が染み込んでいるばかり。スマホの明かりを頼りにビスケットを食べ、荷物を枕代わりにして、僕は硬い木の床に体を丸め、早々に寝てしまうことにした。
 
どれくらい経った頃だろうか、うとうとしていると、誰かが社の戸をコツコツと叩く。驚いて跳ね起き、戸を開けると、そこには美しい女性がひとり立っていた。月の光のせいか、体の周りが青白い蛍光を帯びているように見える。
「社の中に明かりが見えましたので。私の家へいらっしゃいませんか?」
近くに人家があるとは気づかなかった。迷惑ではと、いちおう遠慮してはみたものの、暗闇に参っていた僕は、けっきょく喜んで彼女についていった。
 
「どうして、こんな山奥にいらっしゃったのですか?」
 部屋に布団を敷きながら、彼女は訊ねた。
「僕は将来に迷っているのです。自分が何者なのか、どの道を行くべきか、この祖先の地で考えてみたかったのです」
 すると彼女は、静かな微笑を浮かべて言った。
「心の底にある美しいものを守って、ほんとうにいいと思う道を、まっすぐいらっしゃればいいのですわ」
 その、やわらかく芳しい声を聞くと、僕は瞼がたまらなく重たくなり、そのまますぐに眠ってしまった。
 
 翌朝、また不如帰の声がして、目を覚ますと、僕は大きな古木の洞に寝ていた。これはどうしたことかと洞の外に飛び出してみると、目の前には、底まですっかり見透せるほど澄み切った大きな湖ができていた。木々は水に浸かり、あの社も屋根まですっぽりと沈んでいる。そして花は、あの青い花は、銀色の小さな気泡を身に纏い、透き通った水の底にすくっと立って、差し込む朝日に、燃えるように青く光っていたのだった。
 
 役場に戻ると、親切な職員がすぐに寄ってきて教えてくれた。
「水守さん、分かりましたよ。あなたのご先祖は、ここの奥山に七年に一度現れるという湖の、神事にしか使ってはならない水を守る役職についていたんです。ところがある日照りの年に、ご先祖は村人たちに湖を開放し、その責めを負って、幕府に切腹させられたんです」
 
  あれから、十年経った。僕は営林署の職員になり、故郷一帯の山々を守ろうとしている。七年後に湖を探しに行ったが、あの場所はついに見つからなかった。だが僕の胸の中には、今でも青い花がすくっと立っていて、何かに迷うたび、いいと思う道をまっすぐ行けと言うのだ。
 
                             完

どうなっていくのか・・・

雨が好きだったのに、このところの悪魔的な降り方といったら、どうだろう。
とても季節の雨を愛でる気分にはなれない。太古から自然は人間にとって大きな脅威であったことを、嫌でも思い出さずにはいられない。恐ろしい。

過去にも七夕豪雨というのはあるにはあったけれど、近年、世界に多発する予想を遥かに超えた集中豪雨や気温の激しい上下動を見ると、やはりかつての地球環境が、壊れてしまったのだと思わざるを得ない。
今後、私たちの地球はいったいどうなっていくのだろう? 地球上の生物の存亡や分布地図は大きく変わっていくに違いない。人間たちは大丈夫なのだろうか?

往年の俳人たちが愛して詠んだ「季節」というもの、私が青春を送るころまでは確かにあったそれは、もはや古き良き時代のものになってしまったのかもしれない。
どうしてそうなったのか、誰がそうしたのか、自分自身にその責任の一端がないとは言えず、気持ちは焦れるのだけれど、地球の変動をくい止めるのは難しい。

そういえば、きのうは七夕。 織姫と牽牛も、これでは逢瀬を楽しむどころではなかっただろうな。

雨のポケット

「かがく塾」に提出した最初の原稿は、Yahooブログに書きなぐってあった過去記事を、作品としての形に整えたものでした。 それをさらに、岳先生や出席者の皆様からいただいた批評をもとに書き直しましたので、ここに載せてみます。
文章というものに興味がおありの方は、Yahooブログ「明日につづく文学」の「エッセイ書庫」の最初のほうに、元の記事が載っていますので比較してみてください。どこがどう良くなったのか、お分かりになるかと思います。

                 
            「雨のポケット」


新緑に陽が透けて、木立の下がなんだか黄緑色に明るい。その向こうには、青さの増した空のあちこちに、綿菓子のような白い雲が浮かんでいる。と見る間に、雲は端のほうから風に解(ほど)けて、つぎつぎと形を変えていく。また雨が来るのかもしれない。

五月といえば、春霞が引いて、青く晴れ上がった空をイメージしてしまうが、実際は、意外にも雨が多いものだ。大事に育ててきた庭の芍薬がせっかく美しく咲いているところへ、ちょっと油断していると容赦なく雨が降りかかる。細かい雨なら、その中で咲いている姿も趣があっていいものだけれど、残念なことに芍薬という花は、いったん濡れてしまうと駄目になる。よほど固い蕾のうちでない限り、少しでも開きかけたものが雨に当たると、あくる日にはもう萎れて生気を失ってしまう。

こんなに雨に弱いのなら、なぜ五月を選んで咲くのだろうと不思議に思う。おかげで毎年、この花を守るために透明ビニール傘をさし掛けたり、外したり、あらかじめ雨に備えて大きな花瓶に切り溜めたりと、私は忙しい。それでも気紛れにやって来る雨からは、とうてい守りきれるものではなく、結局最後は、茶色の染みを作って萎れてしまった花たちを、「また来年ね」と切り取って始末するしかなくなるのだ。

こうして毎年、私の可愛い芍薬を台無しにしてくれる雨だけれど、それでも私は、実は雨が好きだ。五月の雨も、梅雨の雨も、夏の夕立も、暴風雨も、秋雨も、時雨も、春雨も、それぞれに好きだ。

朝、布団の中で雨の音を聞くと、布団から出たくないと思うことがよくある。その日にどんな予定があろうと、もうどうでもよくなってしまうのだ。それは、雨の中を出かけるのが億劫だとか、濡れるのが厭だとかいう思いからではない。雨が好きで、雨に降り籠められ、包まれて、そのままじっと雨を感じていたいという強い願望に支配されてしまうからなのだ。勤めていた頃は特に、この願望と闘って身を起こすのがたいへんだった。

どうして私は、そんなに雨が好きなのだろう? 自分の内を探ってみると、脳裏にひとつの原風景のようなものが浮かんでくる。私はその時何歳だったのか、はっきりしないけれども、三つ半違いの妹の影がないところをみると、三歳になるかならないかの頃ではなかったかと思う。五月だというのに、私は母にせがんだのだ。「きょうもおんぶして、栗拾いに行く」と。

幼い私は、前夜、夢を見たのかもしれなかった。
母に背負われていて、家の前の道をしばらく行くと山栗の木があった。可愛い栗の実がころころと落ちていて、母がひとつ拾って背中の私に持たせてくれた。こげ茶色でふっくらとした三角の実。とても嬉しかった。
私は次々と見つけて拾ってもらった。落ちている毬(いが)の中に入っているのもあって、母は両足で上手に毬を開き、中から実を取り出した。集めた実は母の白い割烹着のポケットに入れて、「家へ帰ったら、焼いて食べようね」と言った。私は背負われたまま、その様子を見ていた。楽しくて、楽しくて……。

それがきのうのことだと、なぜか私は思ってしまったのだった。家の大人たちはみんな、栗など落ちていないし雨も降っているからと、私を宥めた。私は納まらず、そんなことはない、きのう確かに栗拾いに行ったのだからと、泣いて、泣いて……。
母はしかたなく私を背負ってねんねこ半纏をかけ、から傘をさして外へ出た。母は子守唄のようなものを歌いながら歩いていたと思う。雨が細かくから傘に当たる音がして、傘の外はすべて雨の中。私と母は、傘の下でふたりきりだった。
山にも道にも道端の木々にも若葉が萌え、あたりは黄緑色に濡れていた。しゃくっていた私はだんだん気が鎮まり、そこへ着く前に、なんだか違うという気がしてきた。

果たして、栗はなかった。それでも母は歌いながら、「栗があるかなあ?」「栗があるかなあ?」と言葉を挟んで、探し歩いてくれた。私は、なんでだろう? と思いながらも、母の背で十分満足していた。母の背中は温かく、柔らかく、雨の音に包まれて、心地よく揺れて……あとは記憶がない。

布団の中で、目覚める前に雨の音が聞こえる朝は、北朝鮮アメリカがどうこうしたとて、そんなことは関係なく、家族のこともお構いなし。書きかけの小説さえもどうでもよくなり、責任とか、努力とか、目標や希望なんかもほったらかして、ただ雨が降っているだけという時間のポケットに、すっぽり嵌ってしまいたくなる。何をするでも考えるでもなく、ただ、ただ、じっと、雨の音を聴いていたいと思うのだ。

きっと、これが私にとっての雨。どんな雨の中にも、いつの雨にも、その奥にはこの雨が降っているような気がする。

27歩めは文章塾

「ブログに戻ってきました」と言っておいて、もう20日も経ちました。 怠慢なセイラです。
でも、この間に27歩めを出してみたんですよ。 27歩めは文章塾への参加です。

せっかく作家クラブに入れていただいたのに引っ込んでばかりで、いろいろな会合にちっとも参加できていませんでしたので、これでは入った甲斐もなしと、ひとつ奮起してみました。
加賀乙彦先生と岳真也先生のお名前を合した「かがく塾」という名の文章塾です。月に一度、5枚程度の掌小説やエッセイを書いてメンバーで評し合ったり、先生方からいろいろな文学に関するお話を伺うというものです。

世話のやける家族が多くて書く時間の少ない私には、メインの中・長編に加えて月に一度5枚作品を書くというのは、かなり負担なのですけど、そんなことを言っていたら進歩もありませんので、頑張ってみることにしました。
最初の会に参加してきましたが、なかなか良くて、私は人に疲れてしまう性質なのですが、岳先生のお人柄か、メンバーのお人柄か、居心地の良い会でした。

塾は東京で開かれ、私には金銭的に遠い所ですので、ほとんど「通信塾」になると思いますが、3か月に一度は参加したいなあと思っています。 その掌作品や、小説を書いている人たちに有意義だと思われる雑談が聞けましたら、またこのブログに載せてみますね。

きょうは雨。いよいよ梅雨入りでしょうか。嫌だなあと思っている人が多いでしょうね。でも私は、嫌いではありません。「つゆ」と思ってはいけません。「五月雨(さみだれ)」と思ってください。 ね、ちょっと違うでしょ。
五月雨は五月と書くので誤解している人もいますけど、これは旧暦の五月、つまり皐月(新暦六月)のことですから、正しく書くなら「皐月雨」で、つゆの雨のことなんですよね。
紫陽花が喜ぶ皐月雨よし。太陽の有難みが分かる皐月晴れは、さらに良し。 季節を楽しみましょう。では、また。

やっと戻ってきました

お久ぶりです。
「春になったらまた」と言っておきながら、桜が散り、若葉が芽吹いて、牡丹も終わり、今はもうすっかり初夏。 数えてみると、ちょうど半年ぶりです。 ご無沙汰いたしました。
ブログの書き方をやや忘れてしまった感がありますが、また、ぼちぼち始めていこうと思います。

千里の道も何歩まで来たのでしょうか? ふり返って確認してみると、
新しい小説の草稿が書き上がった時点で、22歩め。
「青い鳥のロンド」の予約者さんが100人を超して出版できたので、23歩め。
新しい小説の出版契約をして、作家クラブに入ったことで、24歩め。
新しい小説の改稿その1(草稿に肉付けをしたもの)を仕上げて、編集さんに提出したので、25歩め。
これまでで、25歩進んできたようです。たった25歩という気もしますが、一歩、一歩、どれもしんどかったなあという気もします。 その25歩に10年と半年かかりました。

そして今、予定より遅れましたが、新しい小説の改稿その2が、やっとでき上がりました。
草稿225枚から415枚に増えました。 これで26歩めです。

こんどは、みなさんに楽しんで読んでいただけるよう、エンターテイメント要素を織り込んだ恋愛小説ですよ! 
と、言いたいところですが・・・読み返してみると、私、やっぱりエンターテイメントが得意ではないんですねえ。 う~ん、これじゃあ、イマイチかなあ、という気がしてきます。
さらなる改稿が必要でしょう。 まだまだだなあと溜息をついている、きょうのセイラです。

ともあれ、なんとかブログ復帰のゆとりがでてきました。 また皆様と、お喋りできるといいなあと思っています。よろしくお願いいたします。

肩書を持たない人間でしたが

 前記事からすっかり間が開いてしまいました。
何をお話していいか分からないほどたくさんのことがありましたが、シンプルに主な出来事を挙げてみますと、
 
1.実家の耐震補強工事  ・・・8月初めの耐震診断から3か月半、先日ようやく終わりました。
 
2.新しい小説の出版契約
 
  まだ書き上がってはいないのですが、出版社さんと契約し、この作品を急かされていますので、それがブログに手が伸びなかった一番の原因でした。
 
3.作家クラブへの入会
 
  何の肩書きも持たない人間として、この世の片隅に伸び伸びと生きることをこよなく愛してきた私ですが、たいへん強く勧めてくださる方があり、とうとう作家クラブというものに所属することになってしまいました。ついては名刺なるものを作らねばならぬということで、生まれて初めて名刺を持ちました。でき上がったきた名刺を眺めてみると、なんだか窮屈になってしまったような気がしました。
 入会のメリットは、作家クラブの講演会を聞きに行けること、自分の作品をプロの作家さんに読んでもらうチャンスがあること、の二つでしょうか。 要するに、刺激をもらうということです。
独りで黙々と書いているのとは違った視界が開けてくるかもしれないと思い、思い切って飛び込んでみました。
 
今月の16日に東京で、作家クラブの代表である岳真也さんの古希と新作の出版を祝う会があり、参加させていただきました。加賀乙彦さん、安部龍太郎さん、北方謙三さん、三田誠弘さん、林真理子さんなど、著名な作家さんもみえました。 思ったことは、岳さんをはじめ作家さんたちはみなさん地味で、威張った感じの方は一人もなく、自然体でいいなということでした。思ったよりもずっと堅苦しくない会でした。
 どういう繋がりかは存じませんが、元総理の管直人さんもみえ、写真をたくさん撮りました。
 
 
 そんなこんなで多忙を極めておりました。今後も今の作品が仕上がるまでは、それに没頭することになりそうです。ブログはほとんど休止状態になるかと思いますが、皆様、私のこと、忘れずにいてくださいね。春にはまたたくさんお話できるようになると思います。
では、ひとまず、近況のご報告でした。
 

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やっと会えた!「青い鳥のロンド」レヴュー」

6月に出版した「青い鳥のロンド」、もう一般書店にはなくネット書店だけで販売されていますが、久しぶりにレヴューをいただきました。 どなたからいただいたレヴューもとても嬉しかったのですが、今回はまた特別に嬉しかったです。 なぜなら、この小説はこういう方のために書いたような小説だったからです。
やっと、渡るべき読者さんの手に渡った、会うべき人に会えた! という思いがしています。
読者の T.M さんは私の旧い知人です。当時はまだ子どもだった、歳の離れた知人です。「青い鳥のロンド」を読んでメールを送ってくれました。

  
  T.M さんの 「青い鳥のロンド」 レヴュー

お久しぶりです。 青い鳥のロンド、読みました! 遅くなりすみません。今年は幼稚園の会長になってしまい、祭りが終わって一息ついているところです。

私のために書かれた本ではないか? と思うくらい今の自分の状況を考えさせられる内容で、始めからぐいぐい引き込まれました。登場人物の状況、気持ちがよく分かります。

私は、長女が産まれた8年前から第一線を退きアルバイト生活をしています。そうしたのは、確固たる信念があったわけではなく、大学院生という立場から何となくここまで来てしまいました。

子供を保育園に預けてバリバリ働く同級生の話を聞くと、後ろめたい気持ちになったり、子供が巣立った後はどうしよう、、という気持ちはあります。

でも、私にとって青い鳥は子供たちと一緒に過ごすことだという確信が持てました。子供達への影響がどうのということではなく、私自身の幸せとして、かけがえのない時間を過ごせている今をありがたいと思わなくては! と思いました。

自分の文章を書く力がなく、うまく感想が書けずもどかしいのですが、、おもしろく、共感が持て、自分の人生を考えさせてもらえました。本当にありがとうございます。これからも、ご本楽しみにしています!



T.M さんからいただいた言葉は、私に大きな充足感を与えてくれました。書いて良かったと。 本が売れたとか売れないとか、賞が取れたとか取れないとか、そんなことはどうでもいいと思いました。 ああ、私はこういう人に出会いたくて、こういう共感がほしくて書いていたんだなあと、しみじみ思ったことです。
私は T.M さんに、次のようなメールを返しました。


「青い鳥のロンド」読んでくれたんですね! ありがとう!

今は、私の時代とはだいぶ変わって、感覚が古いと言われるかと思ったのですが、多くの女性読者さんたちの感想を聞かせていただくと、やっぱり女性というものの置かれた状況は、基本的には変わっていないようですね。
女性が子供を産むということ、それが変えられない限り、女性特有の悩みは世代を越えて続くのでしょう。
でも、女性特有の困難もあれば、女性特有の幸せもあると気づきます。

男性の人生は等速度単線型ですが、女性の人生は変化に富んだ緩急複線型とでも言いましょうか、考えようによっては男性より面白いのかもしれません。

理想どおりにならない世の中、男女の仲ですが、既成の理想論に縛られず、今の自分の状況の中で、柔軟な思考で、より良いありかたを目指すことが大切かなあと思います。

仕事が・・・と思うと、焦りや不安を感じますよね。分かります。でも、子どもはすぐに大きくなって親の元を巣立ってしまいます。今は子どもたちと一緒に過ごす幸せを十分味わわなくては損ですよね。人生は長い。いつだって意志さえあれば再スタートが切れるんですから。
私なんか50歳になってから小説を書き始めたんですからね。(笑)

感想メール、ありがとう。そして、T さんの青い鳥が見えたこと、とっても嬉しかったです。可愛い子どもさんたちと、素敵なご主人と、幸せな日々を送られますよう祈っていますね。

ほんとうに嬉しい内容でした。ありがとう。   緋野



T.M さん、本当にありがとうございました。


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