これが小説「青い鳥のロンド」です

            青い鳥のロンド


  ほんとうに幸せなのは誰なのか?   

  幸せの条件とは何か? 
                               
  青い鳥はいるのか?
 
                   

就職氷河期の中でなんとか思いどおりの道を切り開き、仕事も結婚も手に入れた4人の勝ち組女たち。 夢を追う菜摘子を取り巻く人々、ある日忽然と現れた栄の魔女夢子さん。
30歳を迎えた彼女たちを待っていたものは・・・。
今を生きる男女に、幸福の真の意味を問う現代小説。 

                          (舞台は名古屋市 栄)
                                                                          
                                                                                                         
    あなたは青い鳥が見えますか?

「一番好きだった人と、幸せの奪い合いをしている」菜摘子

「心の震えは何物にも代え難いわ。ああ、生きている」百音

「他の人たちにも何か不幸があったらいいのに……」 夢子

「何だかんだ言っても、私たちは勝ち組なのよね」翔子

「オマエは空っぽだって、喉の奥から嫌な声を出して笑うの」 麗

「フッ、夢は掴んだとたんに消えてなくなるシャボン玉」  栄の魔女

「暗闇の中で、君と僕のことを想って泣いた」  護




2017年5月30日 ようやく発売となりました。

「青い鳥のロンド」 緋野晴子著 (リトル・ガリヴァー社) 


* 全国書店でお求めいただけます。(ない場合は書店にご注文ください)

* 楽天ブックスAmazon 等ネット書店にもございます。

* 庶民の味方、図書館でリクエスして、購入していただくこともできます。


愛知県では、以下の書店で、平積みになっている思います。

名古屋  三洋堂書店 (込中 店)(塩釜店)  ジュンク堂(名古屋店)
     本の王国(中日書店)  ちくさ正文館書店(本店) 
     ライブラリー大曽根

豊  橋  豊川堂 (本店) (カルミア店) (アピタ向山店)
       精文館 (本店)

豊  川  あおい書店

豊  田  くまざわ書店

刈  谷  くまざわ書店

知  立  夢屋書店

高  浜  三洋堂書店

新  城  愛新堂書店(ピアゴ店)



以下の書店にもあるようですが、何冊あるのか分かりません。ただ1冊で小説の

コーナーに立っているかもしれません
ので、ようくお探しください。

店員さんに 「ありますか?」 と尋ねていただいたほうが早いかもしれませんね。

その他の書店にも配本されたようですが、私には行方がつかめません。 


東 京  ジュンク堂 (立川高島屋店)(大泉学園店)(池袋店)
             (渋谷店)(日本橋店)(新宿京王店)

           文教堂 (赤羽店)

宮 城  丸善 (仙台アエル店)

千 葉  丸善 (柏モディ店)(南船橋店)(津田沼店)

神奈川  文教堂 (溝ノ口本店)

名古屋  ジュンク堂 (名古屋栄店) 丸善(本店)

大 阪  ジュンク堂 (大阪本店)(難波店)(梅田店)丸善 (八尾アリオ店)

京 都  丸善 (本店)

奈 良  ジュンク堂 (奈良店)

神 戸  ジュンク堂 (三宮店)

姫 路  ジュンク堂 (姫路店)   



緋野晴子の3作目です。お読みになってみてください。   す                                                        

小説「青い鳥のロンド」(緋野晴子) ついに発売!


 「青い鳥のロンド」緋野晴子著
                 (リトル・ガリヴァー社)1,296円

   ほんとうに幸せなのは誰なのか?
      幸せの条件とは何か?
               青い鳥はいるのか?
                    
 就職氷河期の中でなんとか思いどおりの道を切り開き、仕事も結婚も手に入れた4人の勝ち組女たち。夢を追う菜摘子を取り巻く人々、ある日忽然と現れた栄の魔女夢子さん。
30歳を迎えた彼女たちを待っていたものは・・・。
今を生きる男女に、幸福の真の意味を問う現代小説。
                 ( 舞台は 名古屋市 栄 )

                        
           あなたは青い鳥が見えますか?
 
「一番好きだった人と、幸せの奪い合いをしている」      菜摘子
「心の震えは何物にも代え難いわ。ああ、生きている」   百   音
「他の人たちにも何か不幸があったらいいのに……」    夢   子
「何だかんだ言っても私たちはそれでも勝ち組なのよ」      翔   子
「オマエは空っぽだって、喉の奥から嫌な声を出して笑うの」 麗
「フッ、フッ、夢は掴んだとたんに消えてなくなるシボン玉」
                          栄の魔女
「暗闇の中で、君と僕のことを想って泣いた」        護 
 
 
2017年5月25日 ようやく発売となりました。
  * 全国書店でお求めいただけます。
                       (店頭にない場合は書店にご注文ください) 
  * 楽天ブックスAmazon 等ネット書店にもございます。
                         (レヴューをぜひお願いします)
  * 庶民の味方、図書館でリクエスしてください。
  
 
 愛知県では以下の書店で平積みされていると思います。
 
   名古屋    三洋堂書店 (込中 店)(塩釜店)  
         ジュンク堂(名古屋店) 
         本の王国(中日書店) 
         ちくさ正文館書店(本店) 
                      ライブラリー大曽根
 
   豊  橋  豊川堂 (本店)(カルミア店)(アピタ向山店)
         精文館 (本店)
 
   豊  川  あおい書店 
   豊  田  くまざわ書店
   刈  谷       くまざわ書店
   知  立  夢屋書店
   高  浜  三洋堂書店
 
  以下の書店にもあるようですが、何冊あるのか分かりません。
ただ1冊で小説のコーナーに立っているかもしれませんので、ようくお探しください。書店員さんに 「ありますか?」 と尋ねていただいたほうが早いかもしれませんね。
その他の書店にもあると思いますが、私には行方がつかめません。
 
   東 京  ジュンク堂 (立川高島屋店)(大泉学園店)
                                                (池袋店)(渋谷店)(日本橋店)
              (新宿京王店)
        文教堂 (赤羽店)
 
   宮 城  丸善 (仙台アエル店)
 
   千 葉  丸善 (柏モディ店)(南船橋店)(津田沼店)
 
   神奈川    文教堂 (溝ノ口本店)
 
   名古屋    ジュンク堂 (名古屋栄店) 丸善(本店)
 
   大 阪  ジュンク堂 (大阪本店)(難波店)(梅田店)  
                             丸善 (八尾アリオ店)
 
   京 都  丸善 (本店)
   奈 良  ジュンク堂 (奈良店)
   神 戸  ジュンク堂 (三宮店)
   姫 路  ジュンク堂 (姫路店)      
 

ヤドカリ生活で思うように動けず、肝心な本の画像がまだUPできません。(涙)
                                      緋野晴子の3作目です。どうぞ、お読みになってみてください。

闘っています

今、「青い鳥のロンド」の書店営業真っ最中です。 ここが一番辛いところです。

 もう、足が痛くて、肩凝って、頭はぼうっとして・・・疲れた。はぁ。

 苦戦していると言うべきか、それなりに健闘していると言うべきか、分かりません

 が、とにかく疲れます。

 でも、まだ頑張ります。やるだけのことはしておかなくちゃ、後に後悔が残ります

 から。

 そんなわけで、ブログも書けていません。

 千里の道の何歩めかも、あとで考えることにします。

 ひとまずご報告でした。

 (はぁ・・・眠いのに熟睡もできない)

文学小説を書いて発表するということは、まるで大海原に向かって、小さな砂粒を
投げ込むかのようなささやかな行為だけれども、ひとりの人間としての世界に対す
る存在証明なのだと思って書いてきましたが、その小さな砂粒を貝が拾って、それ
を核にして真珠を作ってくれることもあるようです。

 昨日、たまたまTVで教育系の番組を見て、はっとしました。そこでは「空気によ
るいじめ」が話し合われていたからです。
「空気によるいじめ」・・・ 6年前、私が「沙羅と明日香の夏」で取り上げたいじ
めの姿です。空気によるいじめは、いじめている側の自覚・罪悪感が非常に薄く、
現象としても見えにくいので、それと気づかれないまま深刻化し、自殺や引きこも
りの原因にもなっているようです。

 また、その「空気に流される」という現象は、単に子どもの世界だけのことではな
く、日本社会の現代病だと私は思っています。 年齢層によって幾分の違いはあ
るでしょうが、「空気を読む」ことが非常に大きな価値のように言われ、空気に逆
らう言動をする人が蔑視されたり疎外されたりするようになったのは、いったいい
つからだったのでしょうか? 少なくとも昭和の時代まではそうでもなかったように
思うのですが、気がついたら日本人はそうなってしまっていました。

特に若者たちは、言葉で自分の考えを伝え合うより、皆まで言わずに空気で会話
していると常々感じています。 
「これ良くね?」と聞き、「ああ」とか、「いいんじゃ

ね?」とか、「だよね」と答え、「思う」という言葉は使いません。
ことの善悪に関わらずリーダー的な存在が場の空気を決め、その空気に逆らうよ
うな言動は、周りの全員から「空気読めよ」のひと言で一蹴されてしまうのです。
他人との関係が希薄になり、他人に対して臆病かつ不寛容な社会が形成されて
いるようです。多様性は生物の大原則であり、生存のために欠かせない価値です。
それを認めることなしに人類の発展はありません。このまま、自分の考えがはっき
り言えない、追随型の人間ばかりが増えていけば、日本はどんどん衰退の一途を
辿っていくでしょう。

 「沙羅と明日香の夏」は、生きることに迷った若者たちの魂の再生を描いた青春
小説ですが、その中に出てくる「空気によるいじめ」に教育界の三人の先生方が
頷いてくださり、推薦してくださいました。また200人ほどの先生方が購入してくだ
さって、「空気によるいじめ」という私の投げた砂粒を受け止めてくださいました。
けれどもその後のことは分からず、「空気」の問題はどうなったのだろうと思ってい
ましたら、昨日の教育番組です。
「空気によるいじめ」の問題が正面から取り上げられ、議論されていました。人の
精神を圧迫するのは、特別な誰かの暴力や嫌がらせ等の直接行為だけではなく、
人を疎外し、いじめを傍観・許容する大衆の空気であることに、やっとメスが入れら
れ始めたのです。その大衆の精神構造を分析することは、やがていじめ問題を超
えて、日本人の弱さの分析と、日本社会の未来の展望へと進んでいくでしょう。
進んでいってほしいものだと思います。

 とにかく、ああ、やっとここまで来たかと思うと、しみじみ嬉しく感じられました。
 文学の掬い取れる真実はほんの小さなものです。その一作をこの世界に送り出
すことは、暗くうねる大海に光の砂粒を投げこむような、些細な抵抗かもしれませ
ん。それでも時には、どこかの貝が見つけてそれを核にして、真珠を作ってくれる

こともあるのですね。それを願って、私はまた書いていこうと思います。

小説の森で - 6.書くことの第一義

 自分はなぜ書くのだろう? と心の底に問うてみる。

 私は作品をひとつ仕上げるごとに、その分だけ自分の中が整理され軽くなって、

この世が生きやすく楽しいものになっていくように感じてはいないか? 書くこと

の第一義は、つまりここにあるような気がする。書く者たちはきっと、みんな自分

のために書いているのだ。それがどんな種類の小説であろうと、結局はそういうこ

となのだろうと思う。かの文豪、森鴎外さんも、「僕はどんな芸術品でも、自己弁

護(自己主張)でないものは無いやうに思ふ」と仰っていた。文学だけでなく、他

の芸術においてもそれは同じことなのかもしれない。

 緋野の場合は、ずっと昔に拾った課題を何十年も胸の底に抱えたまま、未解決の

ままに生きてきて、人生も下り坂に入った今頃になって、ようやく答えらしきもの

の姿がぼんやりと見え始めたように感じている。それが人生の折り返し地点で小説

を書き始めた理由だ。けれども、それを実際に小説の中に書き留めようとしてみる

と、答えは奇しくも茫洋と闇の中に霧散していくばかり。結局、小説を書くとは、

問うても問うても答えの出ない問いに、それでも答えを探し求める心の旅の、軌跡

を残すことなのだと思う。どこにどう辿り着くのか、その答えが未だ答えとは言え

ないようなものであっても、小説は私の中にひとつの足跡をつける。

その足跡を得ることによって、私は明日の一歩を探せるような気がするのだ。その

足跡の上に立って眺めてみれば、視界はきっと今よりもう少し開けてくるはず。

そう信じて一作、一作、難儀な旅を続けている。

 
 では、小説を書くことの第一義は自分のためにあるとして、次に自ずと生じてく

るのは、そうして自分のために書いた小説を、他人に読んでもらいたいというのは

いったい如何なる心理か? という疑問になる。

 つらつら考えてみると、それは結局のところ単純に、自分が描いた、自分だけが

見ている世界を、他の誰かにも一緒に見て欲しいという、ただそれだけに過ぎない

ような気がする。

 描かれた世界への共感やら感想やらは、実はたいした問題ではないのだ。読者の

精神に何らかの波紋を引き起こすことができれば、もちろんいっそう嬉しいには違

いないだろうけれども、それ以前にまず、書いて発表する者の心理の根底にあるも

のは、自分の目が捉えているものを他の誰かにも見てもらいたいという、ただそれ

だけなのではないだろうか。それは人間というものの孤独が生む、宿命的な願望な

のだろう。小説に限らず文学というものは、人間の孤独から生まれ、他者との繋が

りを求めて存在しているのだと、緋野は思う。


 そして、そのように書かれた作者それぞれの小説は、ちょうど今、この小説の森

を彩っている木々の花たちのようなものだろうか。一つとして同じ花はなく、その

うちのどの花がいちばん好きか、美しく見えるか、愛しく感じられるかは、見る人

(読者)それぞれの心の在りようによって違うもので、けっして順位のつけられる

ものではない。これは詩歌の世界でも同様で、新聞の歌壇・俳壇を眺めてみればよ

く分かる。四人の選者が十首ずつ優れた作品を選んでいるが、複数の選者に重複し

て選ばれる作品は、四十首のうちせいぜい一首か二首。文学とはそういうものなの

だろうと思う。

 けれどもまた、一見すれば形のよく似た花たちでも、生気の漲っている花か、水

不足で活気のない花か、はたまた造花かは、誰もが等しく見抜く。文学とはまた、

そういうものでもある。


 と、そんなことをとりとめもなく考えているうちに、森はもうすっかり日暮れに

なってしまったようだ。熱い珈琲でもいただきながら、美しい夕日を眺めることに

しよう。

小説の森で - 5.小説という芸術

 さて、今回は、小説という芸術の特性について確認しておこう。

 小説という芸術の最も大きな特徴は、文字(言葉)という媒体を介さなければ、

どんな感覚も刺激されないということだろう。文字や言葉を知らない人にとって

は、その時点ですでに享受できない芸術なのだ。それはつまり、小説が初めか

ら鑑賞者(読者)を制限しているということ。

 このことは、自分が小説を書く時、その小説を誰に向かって書くのか、誰に読

んでもらいたいのか、に関わってくる重大な要素だと思う。私はそうした視点を

含めて言葉を選んで使っている。

「沙羅と明日香の夏」は読者対象を限定した作品ではないけれど、中高生にも

読めるものにしようという配慮をした。難しい言葉を使えば芸術的というもので

はない。なるべく分かりやすい言葉で詩的世界を構築すること、読者の感覚に

訴える表現を探すこと、が肝要だと思う。。


 次なる特徴は、作者の提出したものが、そのまま鑑賞者(読者)に伝わらない

ということだ。例えば、「生きていてよかった」と書いても、それがどういう文脈

の中に置かれているかはもちろん、読者自身がどんな心理体験を持っているかに

よっても、その響くニュアンスは変わってくる。軽いものか、喜びに満ちたもの

か、涙の出るようなものか、震えるものか・・・作者の声で書かれた世界は、読

者の声に変わって彼らの中に響く。

 鑑賞者の想像世界の自由度は、他の芸術に比べて圧倒的に大きく、ここが、

発信者の世界が鑑賞者の感覚にそのまま伝わる他の芸術との大きな差だろう。

サルトルもそのことを「読者の中には創造が潜む」「作者は作曲家。読者は演奏

者」と表現している。

 ということは、つまり作者を超える読者というものもありうるわけで、作者が読

者の感想に耳を傾ける意味もそこにあるだろうし、読者どうしで感想を述べ合う

意味もあるだろうと思う。一方通行の芸術でないところが、小説の面白いところ

だろうか。また、作者を超える読者を生むような小説こそが、真に芸術品である

とも言えるかもしれない。


 その第三は、小説ほど、描いていない部分で人を動かす芸術はないというこ

と。表現されている場面の向こうに、表現されていない読者自身の描く情景が

浮かんでくるような小説、描かれていない人物の細かい部分が自ずと目に浮

かぶような小説が、つまり芸術的な小説であろうと思う。

 読者はそういう自らの想像の蓄積を通して、その小説の提供している、(物語

的内容ではなく)世界像を、自らのものとして再構成して把握する。このことは、

書く側から言えば、描写は多すぎても少なすぎてもいけないということになるし、

想像を喚起するような表現をすべきということにもなる。すなわち、文の芸が必

要になってくるわけだ。


 最後に、無視できないこととして、小説という芸術は、読者に少なからず能動

的姿勢(苦労)を強いる、ということがある。受身で楽しめる他の芸術が氾濫し

ている現代、活字の芸術は衰退の一途を辿っていると言われている。けれども、

それは錯覚だろうと私は思う。小説が大量に売れるようになったのは、石原慎太

郎の「太陽の季節」が象徴するように、小説家が商業ジャーナリズムに乗っかる

ことによって読者が増大した、昭和30年代からの現象にすぎず、それ以前は大

家といえどもそんなに売れたわけではなく、小説家の生活は概して貧しいものだ

った。もともと鑑賞者を選ぶという、小説の宿命だろう。小説の真の読者は本来的

にそう多くはないし、多くなくてもいいのだと私は思っている。

 それでも小説というものは、他の芸術にはありえないほど、鑑賞者の内面に広く

深く干渉するものだと思う。そこに小説という芸術の持つ大きな力と可能性があ

る。だからいつの時代になっても、一定の読者は必ずいると私は信じている。


 小説という文学の持つ力については、後日また整理してみたい。

お礼&残念なお知らせ

出版が遅れていた「青い鳥のロンド」ですが、予約数が100冊を超え、やっと印

刷に回ることになりました。予約してくださった皆様、応援してくださった皆様、

ほんとうに、ありがとうございました。皆様のお蔭、感謝、感謝、です。


ところで、一つお詫びしたいことがあります。

遅れた理由の一つに、装丁の変更があります。前回ご紹介しました表紙画像は、

ホタテユウキさんというデザイナーさんの作品ですが、ご紹介の時点では、この

表紙に決まっていました。それが、いろいろ事情があったようで(私には詳細は分

かりませんが)、降りてしまわれました。

私は、一目見た瞬間にホタテさんの作品に吸い寄せられ、「青い鳥のロンド」とい

う私の小説の世界を、よくぞここまで読み取ってうまく表現してくれたと感激し、

喜んでいましたので、それが使えなくなったと聞いた時は衝撃でした。もうホタテ

さんの表紙と自分の作品を切り離して考えることはできず、しばらく茫然自失して

しまいました。

今、ようやく立ち直ったところです。しかたがありません。出版までにはいろんな

ことが起こるものです。賞なし、お金なし、ネームバリューなし、の出版ではね。

(タイトルを盗られた? こともありましたしね)

こんなことでめげてはいられません。とにかく千里の道への一歩を進めなければ。

というわけで、ホタテさんの表紙を見て予約してくださった方、たいへん申し訳あ

りませんが表紙変更となります。そして勝手ながら、表紙が変わっても、予約のほ

うはそのまま生きていると解釈させていただきたいと思います。もし、どうしても

不承知という方がみえましたら、コメントでお知らせください。


最後に、ホタテユウキさんへ。

ホタテさんと直接お話しすることが叶いませんので、ここで申し上げます。このブ

ログがホタテさんの目に留まるとこを祈って。

私の小説をしっかり読んで、読み取ってくださって、ありがとうございました。素

敵な表紙を描いてくださって、ありがとうございました。出版される本の表紙は変

わりますが、私の心の中にはホタテさんの表紙の「青い鳥のロンド」がいつまでも

残るだろうと思います。

ホタテさんの表紙は出版されなかった幻の表紙として、読者さんたちにも公開して

おきたいと思いますので、できましたら、このブログで既に公開してしまった画像

をそのまま残しておくことをお許しください。ホタテさんからの削除指示があるま

では、そのままにさせていただきます。

削除指示のないことを祈っておりますので、どうかよろしくお願い致します。

                             緋野晴子