涸沢にて

炎暑の夏ももう終わりです。残暑はまだありますが、自然は正直なもので、ツクツクボウシにミンミンゼミ、谷川の冷たさ(もう泳げません)、風の涼しさ、ショウロトンボ・・・どれも秋の訪れを知らせてくれています。
 
この夏、山に登られた方はみえますか? 山の魅力って何なのでしょうね。
私は山が大好きなのに、実は登るのは苦手なんですよ。 笑
 
山に登る人、帰りを待つ人、登頂を遂げる人、引き返す人、遭難する人、助ける人・・・姿はいろいろでも、そこには人間の正直な素顔が現れてくるような気がします。 きょうは、そんな 「山」 にまつわるお話です。
 
 
             「 涸沢にて 」  
                                緋野晴子
 
  梓川の幅が急に狭まって、流れが激しくなった。澄みきった水が川底の岩々に当たってうねり、暴れながら下流に落ちていく。その流れの中から、白い光がキラキラと翻ってきて、私の眼を刺した。
八月だというのに、山々は雪を頂いて、四方を取り巻いていた。梓川の水が凍るように冷たいのは、あの雪渓の下から走り出てくるからなのだ。
 
流れを少し遡って行くと、川はまた開けてきて、前方に吊り橋が見えた。
「ほら、着いたわよ。あれが有名な河童橋。あの橋を渡れば、もう上高地よ」
 山岳ガイドとして付き添ってくれていた園田さんが、橋を指差して言った。山登りというよりまだ散策にすぎないうちから、ひ弱な私の足はすでに辛くなり始めていたが、その言葉で俄かに力を取り戻した。今夜はここの宿で一泊する。
 
 河童橋の上に立って眺めると、前方には穂高が、巨大な岩壁のような斜面を見せて聳え立っている。夏でさえ人を拒もうとしているかに見えるこの穂高を、雪深い冬に登るなど、まったく正気の沙汰とは思えない。その山の頂に立つことに、いったいどれほどの価値があるというのだろうか?
「馬鹿なんだから」と、私は呟いた。
 ふり返ると焼岳が、峰々の間にひと筋の白煙をたなびかせていた。
 
この宿に泊まる人の半分は観光客だが、あとの半分は、冬山に登るための下見として夏山に来ていた山男や山女たちだった。自然と山の話になる。私は食堂で知り合った人たちに訊いて見た。
「どうして危険な冬山に登るのですか?」
「冬山の持つ味、としか言いようがないですね。自分で攀じ登ってみないと分からないことです」
「夜明けや暮れに、雪山というのは言いようもなく輝くんですよ。その神々しいまでの美しさに惹かれてね」
「若いころは征服欲でした。今は、ただ、ただ、山の中にいたいのですよ」
「刺すような風と、雪と、岩壁という試練の後にくる、魂の充足。一種の洗礼ですね」
 訊ねる人ごとに様々な答えが返ってきた。彼らは尤もらしい表情で答え、いちおう、尤もらしいように聞こえた。けれども私は、馬鹿だと思った。冬山を味わうためや、雪山の美しさを見るためや、征服したり、ただそこにいたり、洗礼を受けたりする、たったそんなことのために、掛け替えのない命を危険にさらすなんて馬鹿だ。私は、山なんか大嫌いだ。
 
 翌朝は快晴だった。絵に描いたような上高地の圧倒的な美しさが、心に痛かった。
私と園田さんは、涸沢をめざして出発した。
まず明神までほぼ一時間、多少のアップダウンはあるものの、山登りというよりはトレッキングだ。明神池の手前に山小屋があって、岩魚を焼く匂いになぜかほっとした。その鏡のような池からまた一時間ほど歩くと、徳沢に入る。まだまだ平坦な道のりだったが、足はすでに疲れていた。ここの山小屋でしばらく休憩してから、私たちはさらに一時間余りかかる横尾に向かった。彼女は初心者の私に、けっして無理をさせないよう配慮してくれていた。
 
 横尾に着くと、三時間以上も山道を歩いてきた私の足は、もうくたくたになっていた。岩に腰掛けて昼食のおにぎりを食べながら、園田さんが聞いた。
「どうする? 上高地に戻ってもいいのだけれど」
 ここから本当の山登りが始まろうとしていた。最大の岩場といわれる屏風岩が見える。徐々に山道になっていって、一時間半も歩くと、残りの一時間半は文字通りの登山になるらしい。彼女は私の足を心配していた。いったん涸沢に向かって歩き出したら、どんなに辛くとも、もう行き着くしかないのだ。途中で挫折することは野宿を意味する。引き返すなら今だ。
「行きます」
 私は答え、彼女は、覚悟したように頷いた。
 
 足は重かったが、前半の行程は二時間ほどでなんとか歩けた。本谷橋からは、なるほど正真正銘の山登りとなり、私は初めて、登山というものの苦しみを知った。何度も立ち止まっては息をついた。腿が疲労して力が入らず、足がなかなか上がらない。酸素が薄いためか、高度が上がるにつれて肩が凝り、頭も痛くなってくる。三分の一も登らないうちに、なぜこんな所へ来るはめになったのかと、私は恨めしさで涙ぐんでいた。
(みんな、あなたのせいよ)
 今年は雪が多いからやめてと言ったのに、私を無視して行ってしまった、あなた。雪山に魂を落として、骸になって帰ってきた、あなた。あなたはそれで満足だったのかもしれないけど、残された私の気持ちはどうなるの? ほんとうに無責任なんだから。あなたの魂を探し出して、「馬鹿!」って言ってやるんだから。
心の中で、何度も何度もそうくり返すことで、私は、くず折れそうになる体をなんとか支え、這うようにしてようやく登りきった。一時間半といわれた登山に二時間半もかかり、全体としては八時間にも及ぶ山行だった。
 
  涸沢の小屋に着くなり、私はまず死んだように眠った。とても起きてはいられなかった。眼を覚まして、園田さんに温かい珈琲をもらい、やっと人心地がついた時には、外はもうすっかり夜になっていた。
 
 夜の涸沢。空一面に散らばった星々の、零れるような輝きを見た。広いカールは融け残った雪で、ぼうっと白んでほのかに明るい。青白い夜の光に包まれて、雪を頂いた穂高が、そのむこうに凛々しく、黒いシルエットを描いて聳えていた。
(あなたも、この景色を見たのね)
その山頂の白い雪の中に、私は夫の笑顔を見たような気がした。
 
(馬鹿なんだから。ひとりで逝ってしまうなんて、ほんとに馬鹿なんだから。……一度もいっしょに登ってみようとしなかった、私もほんとに、ほんとに、馬鹿なんだから。
 ……あなた、……もう、いいわ。あなたは、そこにいてもいいわ)
 
 私は彼を許した。なぜ許せたのか、そして、泉のように次から次へと湧き出してくる涙のわけが、私自身にも解らなかった。 
 

 

読まれているのかな? 電子書籍

小説 「青い鳥のロンド」の出版から、いつの間にか一年余の時間が流れていました。一年の節目としてこのたび電子版になり、現在、ほとんどのネット書店で販売されています。

一冊 432円で、紙の本に比べるとたいへんお得なのですが、さて、どれくらいの方が読んでくださるのでしょうか? 
 
もともと、本の実際の売れ数というものは、著者には把握しがたいようにできている出版業界ですが、電子書籍は特に分かりません。 先に出した 「沙羅と明日香の夏」 を見てみましたら、kindle ストアで本日現在、309,804 位と出ていました。 順位がつくのは何冊か売れたという証拠のようです。(読んでくださった方々、ありがとうございました)
今出たばかりの「青い鳥のロンド」には、順位がついていないことからも分かります。
ですから、どんなに少なくとも一人には読まれたことは分かるのですが、では何冊? となると、?なんですね。
 
「出版社から、売れ行きに応じた印税が入るんじゃない? それで分かるでしょ」と思われる方があるでしょうし、確かに普通はそうだと思うのですが、私の場合、電子化無料、かわりに印税なし、の契約をしていますので分かりません。
忙しい出版社に、「何冊売れましたか? 調べてください」 と言うのも気が引けます。
 
そこで、今後、もし私の電子書籍を読んでくださる方がありましたら、「読んだよ」と一声かけていただけますと、たいへんありがたいです。1000人の読者さんを目指して書いておりますので、知りえたかぎりの読者さん数をカウントしています。
現在のところ、「たった一つの抱擁」 は 200人程度、「沙羅と明日香の夏」 は 600人程度、「青い鳥のロンド」 は 300人程度です。
ご感想を求めたりはしませんので(あればもちろん、とても嬉しいですけど)、どうかお気軽に「読んだよ」 のご一報を、よろしくお願いいたします。
 
 
              「青い鳥のロンド」 について
 
評価が両極に分かれる小説でした。概して女性には好評、男性にはあまり関心を持たれない小説のようです。特に仕事を持って働く女性には絶賛され、高齢男性にはテーマすら理解されないという、極端な現象を引き起こしました。
 
いかにあれば、女性は幸せに生きることができるのか? 女性が幸せになる生き方を探すということは、パートナーである男性も、結局ほんとうの意味で幸せになれるということではないだろうか? 
そのような思いで書きましたが、女性の人生・幸福に対する男性たちの無関心、問題意識不足には、がっかりしてしまいました。昔から女性たちだけが背負ってきた生き辛さ、愛し合う男女の間に軋轢を生む原因、女性にとっては深刻な人生上の大問題は、今も何も解決されてはいないのだということが、奇しくも浮き彫りになる結果となりました。
 
ですが小説は、そうした現実の中から微かな光を拾っています。 どんなにささやかな光でも、人類が、男女が、より確かな幸福に向かって進む道の、篝火の一部になってくれるに違いないと 著者 緋野晴子は信じています。
 
電子版 432円。 著者が言うのもなんですが、それくらいの価値はあるかと思います。この機会にぜひ、お読みになってみてください。
 
 
 
 

幻の青い花を見たことがありますか?

猛暑が続いていますが、皆様お元気でしょうか?
久々の掌小説です。爽やかな初夏のころの、少し幻想的なお話で涼んでいただけたらと思います。
これは文章塾「かがく塾」の第2回に提出した作品です。
 
       「青い花
                          緋野晴子
 
 
 その駅に降り立つと、どこかで不如帰の鳴き声がした。四方をぐるりと囲んでいる新緑の山々は、初夏の陽光を反射してまぶしく光っている。僕は大きく息を吸い込んだ。肺の中まで樹木の黄緑色に染まりそうだった。
 
 そこは、静岡県西北部の山間地にある過疎化の進む小さな町。僕の祖先の眠る地だ。五代前の当主が何らかの理由でこの地を捨て、墓ごと東京(当時は江戸)に移住したと聞いている。学生生活を、あと一年足らず残すのみとなった僕は、ふと、自分のルーツを尋ねてみたくなったのだった。
 
 町役場で、伝え聞いていた古い住所を頼りに、それらしい場所の地図を貰った。親切な職員は、祖先に関する資料がないか調べておいてくれると言う。
 
 どうやら、かなり山奥らしい。そこへ行く人はもう誰もいないのだろう、一時間と歩かないうちに、杉林の間の道は、すでに道の形を失い始めていた。長い年月の間に両側からせり出してきた草木に覆われ、あるいは、道とおぼしき場所の真ん中に、大木がそそり立ったりしている。僕は登山用のナイフで潅木を切り払いながら、なんとか、かつての山道の痕跡を探していったが、そのうちとうとう、完全に道を見失ってしまった。
 
日は真上に昇っている。もはやここまでか? という考えが頭をかすめる。だが、切り株に腰掛けて握り飯を食べるうちに、僕の心は決まった。地図上のここまでの道のりを時間で割って、その距離をこの先の道の形に当てはめれば、およその見当がつくはずだ。行こう。
 
道なき道に、僕は足を踏み入れていった。だんだん山が深くなっていく。林立する杉は背丈を増し、真昼だというのに、周囲は夕方のように薄暗くなった。時おり不如帰の声が、密集した樹々の間を貫いて鋭く響く。そうしてまた、一時間ばかり歩いただろうか。
ふいに、視界に奇妙な違和感を覚えた。目の前の地面が、百平方メートルほどの範囲で、その周囲より少し窪んでいるようなのだ。と、見ると、一本の樹の脇に、小さな社があった。もしや、祖先のいた村落の跡では? 心躍り、駆け寄ろうとした、その時だった。つと、大きな古木の陰から、青い花が姿を現した。百合ほどの大きさで、形も少し似ているが、違う。暗い山の中で、燐を燃やしたような青々とした光を、花びらに宿している。吸い寄せられるように近づいてみると、確かに新種に違いないと思われた。こんな花は見たことがない。僕は根を掘りあげて持ち帰ろうと、思わず手を伸ばした。……だが、やめた。
 
花の前に座って、花をじっと見つめていると、花もこちらをじっと見つめているような気がしてくる。なんだかとても安らいだ心持ちになって、僕は何時間も、そのまま花の傍で過ごした。日が暮れてきても帰る気になれず、夜になったらあの社で寝ればいいと、ぼんやり考えているのだった。
 
やがて、あたりは闇に包まれた。真っ暗な社の中で、僕は少し後悔していた。月はあったが樹木に阻まれ、所々に細く淡い光が染み込んでいるばかり。スマホの明かりを頼りにビスケットを食べ、荷物を枕代わりにして、僕は硬い木の床に体を丸め、早々に寝てしまうことにした。
 
どれくらい経った頃だろうか、うとうとしていると、誰かが社の戸をコツコツと叩く。驚いて跳ね起き、戸を開けると、そこには美しい女性がひとり立っていた。月の光のせいか、体の周りが青白い蛍光を帯びているように見える。
「社の中に明かりが見えましたので。私の家へいらっしゃいませんか?」
近くに人家があるとは気づかなかった。迷惑ではと、いちおう遠慮してはみたものの、暗闇に参っていた僕は、けっきょく喜んで彼女についていった。
 
「どうして、こんな山奥にいらっしゃったのですか?」
 部屋に布団を敷きながら、彼女は訊ねた。
「僕は将来に迷っているのです。自分が何者なのか、どの道を行くべきか、この祖先の地で考えてみたかったのです」
 すると彼女は、静かな微笑を浮かべて言った。
「心の底にある美しいものを守って、ほんとうにいいと思う道を、まっすぐいらっしゃればいいのですわ」
 その、やわらかく芳しい声を聞くと、僕は瞼がたまらなく重たくなり、そのまますぐに眠ってしまった。
 
 翌朝、また不如帰の声がして、目を覚ますと、僕は大きな古木の洞に寝ていた。これはどうしたことかと洞の外に飛び出してみると、目の前には、底まですっかり見透せるほど澄み切った大きな湖ができていた。木々は水に浸かり、あの社も屋根まですっぽりと沈んでいる。そして花は、あの青い花は、銀色の小さな気泡を身に纏い、透き通った水の底にすくっと立って、差し込む朝日に、燃えるように青く光っていたのだった。
 
 役場に戻ると、親切な職員がすぐに寄ってきて教えてくれた。
「水守さん、分かりましたよ。あなたのご先祖は、ここの奥山に七年に一度現れるという湖の、神事にしか使ってはならない水を守る役職についていたんです。ところがある日照りの年に、ご先祖は村人たちに湖を開放し、その責めを負って、幕府に切腹させられたんです」
 
  あれから、十年経った。僕は営林署の職員になり、故郷一帯の山々を守ろうとしている。七年後に湖を探しに行ったが、あの場所はついに見つからなかった。だが僕の胸の中には、今でも青い花がすくっと立っていて、何かに迷うたび、いいと思う道をまっすぐ行けと言うのだ。
 
                             完

どうなっていくのか・・・

雨が好きだったのに、このところの悪魔的な降り方といったら、どうだろう。
とても季節の雨を愛でる気分にはなれない。太古から自然は人間にとって大きな脅威であったことを、嫌でも思い出さずにはいられない。恐ろしい。

過去にも七夕豪雨というのはあるにはあったけれど、近年、世界に多発する予想を遥かに超えた集中豪雨や気温の激しい上下動を見ると、やはりかつての地球環境が、壊れてしまったのだと思わざるを得ない。
今後、私たちの地球はいったいどうなっていくのだろう? 地球上の生物の存亡や分布地図は大きく変わっていくに違いない。人間たちは大丈夫なのだろうか?

往年の俳人たちが愛して詠んだ「季節」というもの、私が青春を送るころまでは確かにあったそれは、もはや古き良き時代のものになってしまったのかもしれない。
どうしてそうなったのか、誰がそうしたのか、自分自身にその責任の一端がないとは言えず、気持ちは焦れるのだけれど、地球の変動をくい止めるのは難しい。

そういえば、きのうは七夕。 織姫と牽牛も、これでは逢瀬を楽しむどころではなかっただろうな。

雨のポケット

「かがく塾」に提出した最初の原稿は、Yahooブログに書きなぐってあった過去記事を、作品としての形に整えたものでした。 それをさらに、岳先生や出席者の皆様からいただいた批評をもとに書き直しましたので、ここに載せてみます。
文章というものに興味がおありの方は、Yahooブログ「明日につづく文学」の「エッセイ書庫」の最初のほうに、元の記事が載っていますので比較してみてください。どこがどう良くなったのか、お分かりになるかと思います。

                 
            「雨のポケット」


新緑に陽が透けて、木立の下がなんだか黄緑色に明るい。その向こうには、青さの増した空のあちこちに、綿菓子のような白い雲が浮かんでいる。と見る間に、雲は端のほうから風に解(ほど)けて、つぎつぎと形を変えていく。また雨が来るのかもしれない。

五月といえば、春霞が引いて、青く晴れ上がった空をイメージしてしまうが、実際は、意外にも雨が多いものだ。大事に育ててきた庭の芍薬がせっかく美しく咲いているところへ、ちょっと油断していると容赦なく雨が降りかかる。細かい雨なら、その中で咲いている姿も趣があっていいものだけれど、残念なことに芍薬という花は、いったん濡れてしまうと駄目になる。よほど固い蕾のうちでない限り、少しでも開きかけたものが雨に当たると、あくる日にはもう萎れて生気を失ってしまう。

こんなに雨に弱いのなら、なぜ五月を選んで咲くのだろうと不思議に思う。おかげで毎年、この花を守るために透明ビニール傘をさし掛けたり、外したり、あらかじめ雨に備えて大きな花瓶に切り溜めたりと、私は忙しい。それでも気紛れにやって来る雨からは、とうてい守りきれるものではなく、結局最後は、茶色の染みを作って萎れてしまった花たちを、「また来年ね」と切り取って始末するしかなくなるのだ。

こうして毎年、私の可愛い芍薬を台無しにしてくれる雨だけれど、それでも私は、実は雨が好きだ。五月の雨も、梅雨の雨も、夏の夕立も、暴風雨も、秋雨も、時雨も、春雨も、それぞれに好きだ。

朝、布団の中で雨の音を聞くと、布団から出たくないと思うことがよくある。その日にどんな予定があろうと、もうどうでもよくなってしまうのだ。それは、雨の中を出かけるのが億劫だとか、濡れるのが厭だとかいう思いからではない。雨が好きで、雨に降り籠められ、包まれて、そのままじっと雨を感じていたいという強い願望に支配されてしまうからなのだ。勤めていた頃は特に、この願望と闘って身を起こすのがたいへんだった。

どうして私は、そんなに雨が好きなのだろう? 自分の内を探ってみると、脳裏にひとつの原風景のようなものが浮かんでくる。私はその時何歳だったのか、はっきりしないけれども、三つ半違いの妹の影がないところをみると、三歳になるかならないかの頃ではなかったかと思う。五月だというのに、私は母にせがんだのだ。「きょうもおんぶして、栗拾いに行く」と。

幼い私は、前夜、夢を見たのかもしれなかった。
母に背負われていて、家の前の道をしばらく行くと山栗の木があった。可愛い栗の実がころころと落ちていて、母がひとつ拾って背中の私に持たせてくれた。こげ茶色でふっくらとした三角の実。とても嬉しかった。
私は次々と見つけて拾ってもらった。落ちている毬(いが)の中に入っているのもあって、母は両足で上手に毬を開き、中から実を取り出した。集めた実は母の白い割烹着のポケットに入れて、「家へ帰ったら、焼いて食べようね」と言った。私は背負われたまま、その様子を見ていた。楽しくて、楽しくて……。

それがきのうのことだと、なぜか私は思ってしまったのだった。家の大人たちはみんな、栗など落ちていないし雨も降っているからと、私を宥めた。私は納まらず、そんなことはない、きのう確かに栗拾いに行ったのだからと、泣いて、泣いて……。
母はしかたなく私を背負ってねんねこ半纏をかけ、から傘をさして外へ出た。母は子守唄のようなものを歌いながら歩いていたと思う。雨が細かくから傘に当たる音がして、傘の外はすべて雨の中。私と母は、傘の下でふたりきりだった。
山にも道にも道端の木々にも若葉が萌え、あたりは黄緑色に濡れていた。しゃくっていた私はだんだん気が鎮まり、そこへ着く前に、なんだか違うという気がしてきた。

果たして、栗はなかった。それでも母は歌いながら、「栗があるかなあ?」「栗があるかなあ?」と言葉を挟んで、探し歩いてくれた。私は、なんでだろう? と思いながらも、母の背で十分満足していた。母の背中は温かく、柔らかく、雨の音に包まれて、心地よく揺れて……あとは記憶がない。

布団の中で、目覚める前に雨の音が聞こえる朝は、北朝鮮アメリカがどうこうしたとて、そんなことは関係なく、家族のこともお構いなし。書きかけの小説さえもどうでもよくなり、責任とか、努力とか、目標や希望なんかもほったらかして、ただ雨が降っているだけという時間のポケットに、すっぽり嵌ってしまいたくなる。何をするでも考えるでもなく、ただ、ただ、じっと、雨の音を聴いていたいと思うのだ。

きっと、これが私にとっての雨。どんな雨の中にも、いつの雨にも、その奥にはこの雨が降っているような気がする。

27歩めは文章塾

「ブログに戻ってきました」と言っておいて、もう20日も経ちました。 怠慢なセイラです。
でも、この間に27歩めを出してみたんですよ。 27歩めは文章塾への参加です。

せっかく作家クラブに入れていただいたのに引っ込んでばかりで、いろいろな会合にちっとも参加できていませんでしたので、これでは入った甲斐もなしと、ひとつ奮起してみました。
加賀乙彦先生と岳真也先生のお名前を合した「かがく塾」という名の文章塾です。月に一度、5枚程度の掌小説やエッセイを書いてメンバーで評し合ったり、先生方からいろいろな文学に関するお話を伺うというものです。

世話のやける家族が多くて書く時間の少ない私には、メインの中・長編に加えて月に一度5枚作品を書くというのは、かなり負担なのですけど、そんなことを言っていたら進歩もありませんので、頑張ってみることにしました。
最初の会に参加してきましたが、なかなか良くて、私は人に疲れてしまう性質なのですが、岳先生のお人柄か、メンバーのお人柄か、居心地の良い会でした。

塾は東京で開かれ、私には金銭的に遠い所ですので、ほとんど「通信塾」になると思いますが、3か月に一度は参加したいなあと思っています。 その掌作品や、小説を書いている人たちに有意義だと思われる雑談が聞けましたら、またこのブログに載せてみますね。

きょうは雨。いよいよ梅雨入りでしょうか。嫌だなあと思っている人が多いでしょうね。でも私は、嫌いではありません。「つゆ」と思ってはいけません。「五月雨(さみだれ)」と思ってください。 ね、ちょっと違うでしょ。
五月雨は五月と書くので誤解している人もいますけど、これは旧暦の五月、つまり皐月(新暦六月)のことですから、正しく書くなら「皐月雨」で、つゆの雨のことなんですよね。
紫陽花が喜ぶ皐月雨よし。太陽の有難みが分かる皐月晴れは、さらに良し。 季節を楽しみましょう。では、また。

やっと戻ってきました

お久ぶりです。
「春になったらまた」と言っておきながら、桜が散り、若葉が芽吹いて、牡丹も終わり、今はもうすっかり初夏。 数えてみると、ちょうど半年ぶりです。 ご無沙汰いたしました。
ブログの書き方をやや忘れてしまった感がありますが、また、ぼちぼち始めていこうと思います。

千里の道も何歩まで来たのでしょうか? ふり返って確認してみると、
新しい小説の草稿が書き上がった時点で、22歩め。
「青い鳥のロンド」の予約者さんが100人を超して出版できたので、23歩め。
新しい小説の出版契約をして、作家クラブに入ったことで、24歩め。
新しい小説の改稿その1(草稿に肉付けをしたもの)を仕上げて、編集さんに提出したので、25歩め。
これまでで、25歩進んできたようです。たった25歩という気もしますが、一歩、一歩、どれもしんどかったなあという気もします。 その25歩に10年と半年かかりました。

そして今、予定より遅れましたが、新しい小説の改稿その2が、やっとでき上がりました。
草稿225枚から415枚に増えました。 これで26歩めです。

こんどは、みなさんに楽しんで読んでいただけるよう、エンターテイメント要素を織り込んだ恋愛小説ですよ! 
と、言いたいところですが・・・読み返してみると、私、やっぱりエンターテイメントが得意ではないんですねえ。 う~ん、これじゃあ、イマイチかなあ、という気がしてきます。
さらなる改稿が必要でしょう。 まだまだだなあと溜息をついている、きょうのセイラです。

ともあれ、なんとかブログ復帰のゆとりがでてきました。 また皆様と、お喋りできるといいなあと思っています。よろしくお願いいたします。