雨のポケット

「かがく塾」に提出した最初の原稿は、Yahooブログに書きなぐってあった過去記事を、作品としての形に整えたものでした。 それをさらに、岳先生や出席者の皆様からいただいた批評をもとに書き直しましたので、ここに載せてみます。
文章というものに興味がおありの方は、Yahooブログ「明日につづく文学」の「エッセイ書庫」の最初のほうに、元の記事が載っていますので比較してみてください。どこがどう良くなったのか、お分かりになるかと思います。

                 
            「雨のポケット」


新緑に陽が透けて、木立の下がなんだか黄緑色に明るい。その向こうには、青さの増した空のあちこちに、綿菓子のような白い雲が浮かんでいる。と見る間に、雲は端のほうから風に解(ほど)けて、つぎつぎと形を変えていく。また雨が来るのかもしれない。

五月といえば、春霞が引いて、青く晴れ上がった空をイメージしてしまうが、実際は、意外にも雨が多いものだ。大事に育ててきた庭の芍薬がせっかく美しく咲いているところへ、ちょっと油断していると容赦なく雨が降りかかる。細かい雨なら、その中で咲いている姿も趣があっていいものだけれど、残念なことに芍薬という花は、いったん濡れてしまうと駄目になる。よほど固い蕾のうちでない限り、少しでも開きかけたものが雨に当たると、あくる日にはもう萎れて生気を失ってしまう。

こんなに雨に弱いのなら、なぜ五月を選んで咲くのだろうと不思議に思う。おかげで毎年、この花を守るために透明ビニール傘をさし掛けたり、外したり、あらかじめ雨に備えて大きな花瓶に切り溜めたりと、私は忙しい。それでも気紛れにやって来る雨からは、とうてい守りきれるものではなく、結局最後は、茶色の染みを作って萎れてしまった花たちを、「また来年ね」と切り取って始末するしかなくなるのだ。

こうして毎年、私の可愛い芍薬を台無しにしてくれる雨だけれど、それでも私は、実は雨が好きだ。五月の雨も、梅雨の雨も、夏の夕立も、暴風雨も、秋雨も、時雨も、春雨も、それぞれに好きだ。

朝、布団の中で雨の音を聞くと、布団から出たくないと思うことがよくある。その日にどんな予定があろうと、もうどうでもよくなってしまうのだ。それは、雨の中を出かけるのが億劫だとか、濡れるのが厭だとかいう思いからではない。雨が好きで、雨に降り籠められ、包まれて、そのままじっと雨を感じていたいという強い願望に支配されてしまうからなのだ。勤めていた頃は特に、この願望と闘って身を起こすのがたいへんだった。

どうして私は、そんなに雨が好きなのだろう? 自分の内を探ってみると、脳裏にひとつの原風景のようなものが浮かんでくる。私はその時何歳だったのか、はっきりしないけれども、三つ半違いの妹の影がないところをみると、三歳になるかならないかの頃ではなかったかと思う。五月だというのに、私は母にせがんだのだ。「きょうもおんぶして、栗拾いに行く」と。

幼い私は、前夜、夢を見たのかもしれなかった。
母に背負われていて、家の前の道をしばらく行くと山栗の木があった。可愛い栗の実がころころと落ちていて、母がひとつ拾って背中の私に持たせてくれた。こげ茶色でふっくらとした三角の実。とても嬉しかった。
私は次々と見つけて拾ってもらった。落ちている毬(いが)の中に入っているのもあって、母は両足で上手に毬を開き、中から実を取り出した。集めた実は母の白い割烹着のポケットに入れて、「家へ帰ったら、焼いて食べようね」と言った。私は背負われたまま、その様子を見ていた。楽しくて、楽しくて……。

それがきのうのことだと、なぜか私は思ってしまったのだった。家の大人たちはみんな、栗など落ちていないし雨も降っているからと、私を宥めた。私は納まらず、そんなことはない、きのう確かに栗拾いに行ったのだからと、泣いて、泣いて……。
母はしかたなく私を背負ってねんねこ半纏をかけ、から傘をさして外へ出た。母は子守唄のようなものを歌いながら歩いていたと思う。雨が細かくから傘に当たる音がして、傘の外はすべて雨の中。私と母は、傘の下でふたりきりだった。
山にも道にも道端の木々にも若葉が萌え、あたりは黄緑色に濡れていた。しゃくっていた私はだんだん気が鎮まり、そこへ着く前に、なんだか違うという気がしてきた。

果たして、栗はなかった。それでも母は歌いながら、「栗があるかなあ?」「栗があるかなあ?」と言葉を挟んで、探し歩いてくれた。私は、なんでだろう? と思いながらも、母の背で十分満足していた。母の背中は温かく、柔らかく、雨の音に包まれて、心地よく揺れて……あとは記憶がない。

布団の中で、目覚める前に雨の音が聞こえる朝は、北朝鮮アメリカがどうこうしたとて、そんなことは関係なく、家族のこともお構いなし。書きかけの小説さえもどうでもよくなり、責任とか、努力とか、目標や希望なんかもほったらかして、ただ雨が降っているだけという時間のポケットに、すっぽり嵌ってしまいたくなる。何をするでも考えるでもなく、ただ、ただ、じっと、雨の音を聴いていたいと思うのだ。

きっと、これが私にとっての雨。どんな雨の中にも、いつの雨にも、その奥にはこの雨が降っているような気がする。

27歩めは文章塾

「ブログに戻ってきました」と言っておいて、もう20日も経ちました。 怠慢なセイラです。
でも、この間に27歩めを出してみたんですよ。 27歩めは文章塾への参加です。

せっかく作家クラブに入れていただいたのに引っ込んでばかりで、いろいろな会合にちっとも参加できていませんでしたので、これでは入った甲斐もなしと、ひとつ奮起してみました。
加賀乙彦先生と岳真也先生のお名前を合した「かがく塾」という名の文章塾です。月に一度、5枚程度の掌小説やエッセイを書いてメンバーで評し合ったり、先生方からいろいろな文学に関するお話を伺うというものです。

世話のやける家族が多くて書く時間の少ない私には、メインの中・長編に加えて月に一度5枚作品を書くというのは、かなり負担なのですけど、そんなことを言っていたら進歩もありませんので、頑張ってみることにしました。
最初の会に参加してきましたが、なかなか良くて、私は人に疲れてしまう性質なのですが、岳先生のお人柄か、メンバーのお人柄か、居心地の良い会でした。

塾は東京で開かれ、私には金銭的に遠い所ですので、ほとんど「通信塾」になると思いますが、3か月に一度は参加したいなあと思っています。 その掌作品や、小説を書いている人たちに有意義だと思われる雑談が聞けましたら、またこのブログに載せてみますね。

きょうは雨。いよいよ梅雨入りでしょうか。嫌だなあと思っている人が多いでしょうね。でも私は、嫌いではありません。「つゆ」と思ってはいけません。「五月雨(さみだれ)」と思ってください。 ね、ちょっと違うでしょ。
五月雨は五月と書くので誤解している人もいますけど、これは旧暦の五月、つまり皐月(新暦六月)のことですから、正しく書くなら「皐月雨」で、つゆの雨のことなんですよね。
紫陽花が喜ぶ皐月雨よし。太陽の有難みが分かる皐月晴れは、さらに良し。 季節を楽しみましょう。では、また。

やっと戻ってきました

お久ぶりです。
「春になったらまた」と言っておきながら、桜が散り、若葉が芽吹いて、牡丹も終わり、今はもうすっかり初夏。 数えてみると、ちょうど半年ぶりです。 ご無沙汰いたしました。
ブログの書き方をやや忘れてしまった感がありますが、また、ぼちぼち始めていこうと思います。

千里の道も何歩まで来たのでしょうか? ふり返って確認してみると、
新しい小説の草稿が書き上がった時点で、22歩め。
「青い鳥のロンド」の予約者さんが100人を超して出版できたので、23歩め。
新しい小説の出版契約をして、作家クラブに入ったことで、24歩め。
新しい小説の改稿その1(草稿に肉付けをしたもの)を仕上げて、編集さんに提出したので、25歩め。
これまでで、25歩進んできたようです。たった25歩という気もしますが、一歩、一歩、どれもしんどかったなあという気もします。 その25歩に10年と半年かかりました。

そして今、予定より遅れましたが、新しい小説の改稿その2が、やっとでき上がりました。
草稿225枚から415枚に増えました。 これで26歩めです。

こんどは、みなさんに楽しんで読んでいただけるよう、エンターテイメント要素を織り込んだ恋愛小説ですよ! 
と、言いたいところですが・・・読み返してみると、私、やっぱりエンターテイメントが得意ではないんですねえ。 う~ん、これじゃあ、イマイチかなあ、という気がしてきます。
さらなる改稿が必要でしょう。 まだまだだなあと溜息をついている、きょうのセイラです。

ともあれ、なんとかブログ復帰のゆとりがでてきました。 また皆様と、お喋りできるといいなあと思っています。よろしくお願いいたします。

肩書を持たない人間でしたが

 前記事からすっかり間が開いてしまいました。
何をお話していいか分からないほどたくさんのことがありましたが、シンプルに主な出来事を挙げてみますと、
 
1.実家の耐震補強工事  ・・・8月初めの耐震診断から3か月半、先日ようやく終わりました。
 
2.新しい小説の出版契約
 
  まだ書き上がってはいないのですが、出版社さんと契約し、この作品を急かされていますので、それがブログに手が伸びなかった一番の原因でした。
 
3.作家クラブへの入会
 
  何の肩書きも持たない人間として、この世の片隅に伸び伸びと生きることをこよなく愛してきた私ですが、たいへん強く勧めてくださる方があり、とうとう作家クラブというものに所属することになってしまいました。ついては名刺なるものを作らねばならぬということで、生まれて初めて名刺を持ちました。でき上がったきた名刺を眺めてみると、なんだか窮屈になってしまったような気がしました。
 入会のメリットは、作家クラブの講演会を聞きに行けること、自分の作品をプロの作家さんに読んでもらうチャンスがあること、の二つでしょうか。 要するに、刺激をもらうということです。
独りで黙々と書いているのとは違った視界が開けてくるかもしれないと思い、思い切って飛び込んでみました。
 
今月の16日に東京で、作家クラブの代表である岳真也さんの古希と新作の出版を祝う会があり、参加させていただきました。加賀乙彦さん、安部龍太郎さん、北方謙三さん、三田誠弘さん、林真理子さんなど、著名な作家さんもみえました。 思ったことは、岳さんをはじめ作家さんたちはみなさん地味で、威張った感じの方は一人もなく、自然体でいいなということでした。思ったよりもずっと堅苦しくない会でした。
 どういう繋がりかは存じませんが、元総理の管直人さんもみえ、写真をたくさん撮りました。
 
 
 そんなこんなで多忙を極めておりました。今後も今の作品が仕上がるまでは、それに没頭することになりそうです。ブログはほとんど休止状態になるかと思いますが、皆様、私のこと、忘れずにいてくださいね。春にはまたたくさんお話できるようになると思います。
では、ひとまず、近況のご報告でした。
 

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やっと会えた!「青い鳥のロンド」レヴュー」

6月に出版した「青い鳥のロンド」、もう一般書店にはなくネット書店だけで販売されていますが、久しぶりにレヴューをいただきました。 どなたからいただいたレヴューもとても嬉しかったのですが、今回はまた特別に嬉しかったです。 なぜなら、この小説はこういう方のために書いたような小説だったからです。
やっと、渡るべき読者さんの手に渡った、会うべき人に会えた! という思いがしています。
読者の T.M さんは私の旧い知人です。当時はまだ子どもだった、歳の離れた知人です。「青い鳥のロンド」を読んでメールを送ってくれました。

  
  T.M さんの 「青い鳥のロンド」 レヴュー

お久しぶりです。 青い鳥のロンド、読みました! 遅くなりすみません。今年は幼稚園の会長になってしまい、祭りが終わって一息ついているところです。

私のために書かれた本ではないか? と思うくらい今の自分の状況を考えさせられる内容で、始めからぐいぐい引き込まれました。登場人物の状況、気持ちがよく分かります。

私は、長女が産まれた8年前から第一線を退きアルバイト生活をしています。そうしたのは、確固たる信念があったわけではなく、大学院生という立場から何となくここまで来てしまいました。

子供を保育園に預けてバリバリ働く同級生の話を聞くと、後ろめたい気持ちになったり、子供が巣立った後はどうしよう、、という気持ちはあります。

でも、私にとって青い鳥は子供たちと一緒に過ごすことだという確信が持てました。子供達への影響がどうのということではなく、私自身の幸せとして、かけがえのない時間を過ごせている今をありがたいと思わなくては! と思いました。

自分の文章を書く力がなく、うまく感想が書けずもどかしいのですが、、おもしろく、共感が持て、自分の人生を考えさせてもらえました。本当にありがとうございます。これからも、ご本楽しみにしています!



T.M さんからいただいた言葉は、私に大きな充足感を与えてくれました。書いて良かったと。 本が売れたとか売れないとか、賞が取れたとか取れないとか、そんなことはどうでもいいと思いました。 ああ、私はこういう人に出会いたくて、こういう共感がほしくて書いていたんだなあと、しみじみ思ったことです。
私は T.M さんに、次のようなメールを返しました。


「青い鳥のロンド」読んでくれたんですね! ありがとう!

今は、私の時代とはだいぶ変わって、感覚が古いと言われるかと思ったのですが、多くの女性読者さんたちの感想を聞かせていただくと、やっぱり女性というものの置かれた状況は、基本的には変わっていないようですね。
女性が子供を産むということ、それが変えられない限り、女性特有の悩みは世代を越えて続くのでしょう。
でも、女性特有の困難もあれば、女性特有の幸せもあると気づきます。

男性の人生は等速度単線型ですが、女性の人生は変化に富んだ緩急複線型とでも言いましょうか、考えようによっては男性より面白いのかもしれません。

理想どおりにならない世の中、男女の仲ですが、既成の理想論に縛られず、今の自分の状況の中で、柔軟な思考で、より良いありかたを目指すことが大切かなあと思います。

仕事が・・・と思うと、焦りや不安を感じますよね。分かります。でも、子どもはすぐに大きくなって親の元を巣立ってしまいます。今は子どもたちと一緒に過ごす幸せを十分味わわなくては損ですよね。人生は長い。いつだって意志さえあれば再スタートが切れるんですから。
私なんか50歳になってから小説を書き始めたんですからね。(笑)

感想メール、ありがとう。そして、T さんの青い鳥が見えたこと、とっても嬉しかったです。可愛い子どもさんたちと、素敵なご主人と、幸せな日々を送られますよう祈っていますね。

ほんとうに嬉しい内容でした。ありがとう。   緋野



T.M さん、本当にありがとうございました。


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小説の森で - 11.文学は何ができるか (3)

 さて、クラルテに招かれた6人の小説家の中で、最も的確で分かりやすく述べているのはシモーヌ・ド・ボーヴォワール。彼女の言葉を要約しておこう。

 
シモーヌ・ド・ボーヴォワール 哲学教師 → 作家、サルトルの協力者
 
「人はみな他人と共有しない個人的な状況と、意識しないまま身に反映している他人と同一の状況とを持っている。世界とは、その各個別の状況と互いに包含しあっているすべての状況との渦動状態のことをいうのである。

人々は他人に近づくために、意味の伝達手段として言語を使う。しかし、会話・議論・講演などではどうしても伝達不可能な部分(壁)がある。それは各人の持つ生命の独特な味わいである

文学は各個人を分離させているその壁を確認し、越えさせる可能性を持つ。
一人の作家は、彼が包含し暗黙裡に要約している彼の世界を表現し、読者はその世界に入りこみ、少なくとも読書の間は、彼の世界を自分の世界のものとすることができる。それによって我々は、我々を我々の特異性の中に閉じこめる仕切り壁に抗して、個人別の特異な経験が、他の人々のそれでもあることを会得するのである。

各人は、すべての人々が彼ら自身について打ち明ける事柄を通じて、また彼らによって明らかにされる自分自身を通じて、その人々を理解するものである。

また、文学は本質的に一つの探求(世界と自分・人間との関係)である。探求と発見があるところに真実は現れる。一人の作家は、渦動状態にある現実の部分的真実しか捉えられないかもしれない。しかしそれが一個の真実であれば、それを伝えられた人(読者)を豊かにする

ところで、文学とはどういう時に生まれるのか? 集団的歓喜(意思疎通)のある時には文学は無用である。また絶望の(何ら頼るべきものがあるとは信じられない)時には不可能である。苦悩があり、それを表現することによって、その苦悩が意味を持つと考えられる時、つまり、他の人たちとの意思疎通を信じて、意思疎通を求めている時にこそ生み出されるのである。

文学とは、人々に個人的かつ普遍的な世界を開示して見せるものである。」
                         (趣旨の要約)

 
彼女の論を総括すれば、「お互いに結びついていながら、しかも離れ離れである個々人に、人間の中の人間的なものを救い出し、人間世界の普遍性を開示して見せ、孤独な人間を人間共同体の中に組み入れる。これこそ文学の仕事」であり、文学の力である、ということになるだろうと思う。

このボーヴォワールの言葉に接した時、私は実に胸のすく思いがした。まったく、まったく、塵ほども異存なし。
それでも緋野は、少~しだけ彼女よりも欲張りなのだろうか。人間世界の普遍性の開示というだけでは、(これまでの文学はすべてそうであったとは思うけれども)、何か少しもの足りない。それが何なのか、いつかまた書いてみようと思っている。

 

 


  

小説の森で - 11.文学は何ができるか (2)

父の一周忌があり、記事の間が開いてしまいました。
最近、急に寒くなって、家の近くの花の木はもう紅葉しかけています。今年は冬が早いかもしれません。
小説の森は、近年もうずっと冬ですけれどもね。

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 文学の力とは、現実に対する異議申し立ての力であるとしたホルへ・センプルン、現実世界を検討させる力であるとしたジャン・リカドゥ、変革への信号を送る能力を持つとしたジャン・ピエール・ファイユ、その完璧な夢の場から現実を非難する力があるとしたイヴ・ベルジュ。彼らがみな、文学を作品世界と現実社会との対峙において捉えていたのに対し、サルトルとボーヴオワ―ルは、文学というものの個々人に及ぼす力について述べている。

 

 
ジャン・ポール・サルトル
 実存主義哲学者。小説・劇作・評論・哲学論文等。ノーベル賞辞退。
 
「飢えた子どもの死を前にして書物がそれを防げないように、書物が現実に対して直接的実践的な効用を持たないのは明白である。では、何ができるか。
 文学はイヴ・ベルジュの言うような「世界苦を忘れるための手段」ではなく、作品の中には、過去があり、未来があり、連続がある。言語に関わる実在であって、けっして「夢」ではない。
作家が文学作品を創作する時、不完全にしか目的を達し得ぬとしても、到達しようと望んでいる目的を持ってはいる。つまり、目的を持った現実の実践活動なのである。そこで作家によって意味されたものは、「言葉」という記号を通して読者に委ねられる。
読者も小説世界を逃避的夢として見るのではない。読者が書物に求めるのは、彼自身の生活の中に発見していなかったような意味である。人は常に現実に意味を与えて生きているが、それは互いの間で合致することのない部分的な意味にすぎないため、自分の生にすべての意味の統一を与えたいと望んでいる。
読者は、作者が到達しようと望んでいると、彼が感じる目的への見透しを持って、連結された言葉の意味を把握する作業を行う。これも本物の実践活動である。読者は一句一句を新しい経験として受け取り、自分が意味の総体を再構成しようとして読むのであり、その意味するものを作り出すのは読者自身である。」

 
つまりサルトルは、自分の生に意味の統一を与えたいという人間の願望を、実現へと向かわせる力、それが文学の力であると言っている。

また文学によって、人は現実の圧制から免れることができ、一瞬の自由を生きることができるとも言っている。それはイヴ・ベルジュの言うような、逃避という意味においてではない。読者は作品世界に入りこむことによって煩わしい現実から一時的に隔離され、作者の魂の中を自由に散策することで、自己の魂を磨けるという意味においてである。

文学とはそのような、まるでドラゴンボールに出てくる「精神と時の部屋」のような働きをするもので、読者は、そして作者自身も、そこで自分自身の魂を磨くことができる、そういうものだと私も思う。

 

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