文学の虚と実

秋らしい良い天気です。今までここにあった人の魂、これまでに生きて死んだ夥しい数の魂が、この澄み切った大気の中の透明な世界に満ちている、そんなことを思ってしまいました。
きょうは、目に見えない文学の世界のことを考えてみましょう。

 

しばらく前にブロ友のセネカさんが 「俳句の虚と実」についてという興味深い記事を書いておられました。その中でセネカさんは、私の以前の記事「心の眼で見る五・七・五文学」という捉え方が、角川春樹さんの「魂の一行詩」という捉え方に「ふれている」とおっしゃっています。私はそれを読んで「ふれている」というより、まさに重なるものだと感じました。セネカさんが引用された角川さんの言葉をここに掲げてみます。

 

....だが、写生とは本来、「おのが生を写す」ことである。作者の人生を、いのちを、こころを写すことなのだ。写実は写生の一部であって、全体ではない。詩の根本はわずか十七音の文字に、おのれの「いのち」と「たましひ」を乗せて詠うことなのだ。

そして、その後に角川さんの「俳句の写実を信じるな」から次のような引用がなされていました。

ある時、俳人森澄雄さんは、私に次のように語った。「俳人は神仏を信じなくてもいいが、「虚」を信じなければ駄目だ。でないと巨きな世界が詠めない。今の俳人は最も大事な「虚」が詠めなくなった」「虚にゐて実を行ふべし」の名言を芭蕉は残したが、詩の真実としては、「実」よりも「虚」のほうが巨きい。例えば、芭蕉の次の一句も完全な「虚」である。


 一家に遊女もねたり萩と月  芭 蕉


 そして、芭蕉俳諧開眼となった次の一句もそうだ。


 古池や蛙飛びこむ水の音  芭 蕉


蛙が池に飛びこんで音を立てたというのは、芭蕉のイメージである。なぜなら、現実的には音がしないからである。芭蕉の多くの句は、空想句つまり「虚」である。子規、虚子の言う写実ではない。しかし、虚でありながら実以上の「詩の真実」を見出したのだ。

 

森澄雄さんが語った内容は、『詩の真実 俳句実作作法 』(角川選書)という対談の中にあります。

 

森 そのへんが俳諧の「虚実」だね。ところが写生派にはね、「実」だけがあって「虚」がないんだ。
角川 そうそう。そうですね。虚が実に転化するんですね。
森 それは、芭蕉さんが言ってるでしょう。「虚に居て実をおこなふべし。実に居て虚をおこなふべからず……」。これは非常に大事だ。「虚に居て実をおこなふべし」っていうのは、みごとな言葉だと思う。言ってみれば人間の存在自体が、もっとおおきな「虚」に浮かんでるんだから。そこから「実」の生活をしてるんだから。そのおおきな「虚」の感覚を持って「実」を詠まないと、ほんとうの「「実」が生まれてこんのよ。「虚」があるから、宗教もあるわけでね。
角川 そうです。
森 いまは、実証主義的で、「虚」を信じない時代になってる。神様だとか仏様は信じなくても、「虚」は信じないとしようがないですよ。そういうおおきさを持たない限りね。文学とはそういうもんだもの。
角川 大事なことですね。
森 一番大事。人間というのは、底のないところを底にして立ってるんだから。その感覚がなくなるとね、句もだめになる。だから俳句は、おもしろくってたまらんね。
角川 おもしろいですねえ。


私はここに書かれている「虚」と「写実」・「写生」という言葉にちょっと思考が滞り、もう少し自分の頭の中を整理して自分の言葉で解き明かしたい衝動に駆られました。

 

⒈「虚」とは何か?

「虚」と「実」という概念はずっと古い時代からありました。古くはプラトンの「イデア界・現象界」という二元論。少し近いところではデカルトの「物・心」二元論。
プラトンの「イデア」が真・善・美など永遠不滅の理想であるのに対しデカルトの「心」は主体的自己であって、その意味するところは違いますが、眼に見える現実の世界とは別に、見えない世界が存在すると考えた点では共通しています。
その見えない世界は見えないけれども確かにある。それが即ちここで言う「虚」にあたると思います。我々はこの「虚」の世界と「実」の世界 両方の住人なのです。

例えば、いま同じ部屋に10人いて同じ作業をしているとしましょう。この10人は「実」の世界では狭い場所で同じように生きていると言えるでしょうが、心(たましひ)は一人ひとりまったく違った果てしなく広い「虚」の世界をさまよっているのです。
森さんが、
「人間の存在自体が、もっと大きな「虚」に浮かんでるんだから。そこから「実」の生活をしてるんだから。」
と言っているのはそういうことで、デカルトの二元論に非常に近いものだと思います。

また、音楽家が創り出す美しいメロディや魂を揺さぶるリズムは、いったい何処にあったのでしょう?
その存在が欠片でも見えますか?彼らが「虚」の世界から引き出して来たとしか説明がつきません。それはプラトンの言う「イデア界」にあったものです。

このように人は「虚」の世界の住人であって、俳句のみならず文学やその他の芸術はすべて、そこに根ざしていると言っていいでしょう。

そこで「虚」とは何か?ということを、できる限り適切と思われる言葉で説明してみると、
「虚」とは「いのち」と「たましひ」の住む場所であり、「心・感性・意識・思考・空想・知覚」などの言葉がそこに含まれる。
というのが私の結論です。


⒉ 芭蕉さんの言葉


「虚に居て実を行ふべし。実に居て虚をおこなふべからず」の意味は?

「古池や」の句が空想句であるという論には必ずしも賛成できませんが(なぜなら蛙が水に飛び込む時「現実には音がしない」と言っているのが奇妙だからです。トプンという、それは侘しい音がします。田舎者のセイラは何度となくその音を聞いて育ちましたから)、が、空想句であったとしても構いません。

「虚に居て実を行ふべし」とは、心が感じ取っているものが先ずあって、それを表現するために言葉を介して実際の場面を描け、ということでしょうから。小説も同じことをしています。

では「実に居て虚を行ふべからず」とはどういうことでしょう?
それは、本当は己の心に感じているものが無いのに、実世界の現象をこねくり回して情趣らしきものをでっちあげるな。と言っているのではないでしょうか?当時流行した(貞門or談林)俳諧のことば遊びを批判したものと思われます。

 

⒊ 森さんの言葉


「ところが写生派にはね、「実」だけあって「虚」がないんだ」について。

ここで写生と呼んでいるのは文脈の流れからして、角川さんの言葉で言うと写実の意味だと思われます。
森さんがどういう人たちを俳句の「写生派」と呼んでいるのか分からないので私の思考がちょっと停滞してしまったわけですが、写実の代表として正岡子規の名が挙がっているので、子規も「写生派」の仲間と考えているようです。だとすると、私はこの森さんの言葉には賛成しかねます。

    冬ごもる病の床のガラス戸の

                    曇りぬぐへばたび干せる見ゆ  (子規)

 この子規の句に「実」だけあって「虚」がないとは思えません。
しんと寒くて静かな冬。
部屋の戸を閉め切って一人病の床に臥せっていると、ガラス戸も息で曇って外が見えなくなります。
外界と隔絶された小空間で子規の意識は長い時間「虚」の世界を彷徨っていたと思われます。
徒然草の「ものぐるほしけれ」の心境になったのでしょうか、ふと、「自分はすでに実世界の住人ではなくなったのではないか?」と、まるで異世界にいるような不安と孤独に襲われます。
そこで這って行ってガラス戸の曇りをぬぐうと「たび干せる見ゆ」なのです。
そこには日光があり、生活感と生の温もりがありました。子規は「実」の世界とのつながりを感じて「ああ、まだ生きている。まだこちら側(実の世界)にいるのだ」とほっとしたことでしょう。
まさに「虚」と「実」の狭間に存在する己の命を感じ取った歌ではありませんか。
実景をそのまま切り取りながら「虚・実」の世界と生に執着する魂を描いたみごとな歌だと思います。

写実といえば、俳句・短歌のみならず、近代小説も写実主義に始まりました。写実主義の産みの親である
二葉亭四迷は「小説総論」の中で次のように言っています。

「凡そ形(フォーム)あればここに意(アイデア)あり。・・・・・・・意こそ大切なれ。意は内に在ればこそ外にあらはれもするなれば、形なくとも尚在りなん。」

この「意」はデカルトの「主体的自己」とプラトンの「イデア」の両方を踏んでおり、芭蕉の「虚」に通じるものだと思われます。
そして二葉亭はまた言います。

「そもそも小説は浮世にあらはれし種々雑多の現象(形)の中にて其自然の情態(意)を直接に感得するものなれば、其感得を人に伝へんにも直接ならでは叶はず。直接ならんとには、模写ならでは叶はず。・・・・・・模写といへることは実相を仮りて虚相を写し出すといふことなり。」と。

 子規の「写生派」も、二葉亭の「模写」も、近代小説のめざした「写実主義」もその始まりにおいては、角川さんの言葉を使えば、「おのが生を写す写生」であったというのが私の結論です。


「実」を写しているといっても、写真のように雑多な現象世界をそのまま全て写すわけではありまん。それは意思による選択的写実であり、作者の「虚」の世界と無縁ではありえないのです。
ただ、下手な写生句・写実小説は「実」だけあって「虚」がないことになりやすいとは思います。
二葉亭も言っています。
「浮世の形のみを写して其意を写さざるものは下手の作なり。」
下手の写生句はそこらじゅうで見かけます。
俳句を楽しむ人たちが増えて下手な作が氾濫しても、それはそれで悪いことではないと私は思います。私も下手な作を作って時々楽しみます。上手な作などなかなかできないのですから。
でも俳人と称している人たちが「虚」を写さぬ写実をして良しとしているなら、それは俳句の衰退というものでしょう。角川さんや森さんはそれを嘆いているのではないでしょうか

父を悼む

父はまだもの心もつかないうちに両親と死に別れ、親の顔を知らないまま、新潟の伯父の家で育てられました。少年期を戦争の中で過ごし、戦死する以外の道は考えられず、将来への夢を抱くこともありませんでしたが、出征送別会の翌日に、思いがけず終戦を迎えました。

戦後は「青年の主張」という弁論大会に出場したり、小説を書いたりと、青年らしい覇気を見せる父でした。 
 
けれど、18歳で子供のなかった姉夫婦の養子になり、静岡県の山奥に来てからは、農業という好まぬ仕事に就かねばならず、その農業だけでは生計が成り立たないため、生活費を養父に頼らねばなりませんでした。加えて姉夫婦は喧嘩の絶えない夫婦で、父はすぐに来たことを後悔しましたが、といって、帰れる家はもうありませんでした。 
唯一の救いは恋をしたことです。ところが、好きになったその女性は、結核で亡くなってしまいました。 
何ひとつ思うに任せぬ失意の父は、そのころに人生を諦めたのかもしれません。 
 
誰でもいいという思いで迎えた嫁は、働き者で明るく世話好きな性格でしたが、父の憂愁を理解してくれる人ではありませんでした。父はいつも自分ひとりの中に閉じこもっているような人になりました。 
それでも4人の娘ができ、子どもたちにはとても優しい父でした。寝る前にいつも聞かせてくれた「かわうそくん」という自作のお話は、最後にきまって近所の子どもたちが登場し、毎回違ったラストになるのでした。 
 
農業では現金収入が少なすぎると思った母は、父を林業に送りだしたりしましたが、その仕事も常にはありませんでした。どこかの会社に就職をと目論んでいた矢先に、養父の弟が営む水道工業所が人手不足だということで、そこの工夫にと乞われて行くことになりました。義理に縛られた父には、またしても選択の余地はありませんでした。 
以来30年近く、黙々ときつい水道工事の仕事を続けました。青年のころは、小柄で色白のインテリタイプの人でしたが、当時の父は真っ黒で、骨と筋肉しかないような、ひどく痩せた工夫でした。 
娘たちは一人、また一人と成人し、家を離れていきました。 
その間、それなりに幸せそうにも見えていた父でしたが、心のどこかに闇を抱えていたのでしょうか、50代の終わりになって精神を病みました。その後は前立腺肥大、糖尿、腰痛、胃癌、腸のポリープ・・・次々と病気ばかりの晩年でした。
ここ数年は肺線維症で酸素吸入の生活になり、肺炎で何度か入院しました。 
それでも娘が、「お父さん、自分の人生を振り返ってどう思う?」と聞くと、「まあ、幸せだったわいなあ」と答える父でした。 
 
酒と、風呂と、星を眺めるのが好きな人でした。歴史と新聞が好きで、歴史の本を読み始めると、誰かに呼びかけられても、まったく聞こえなくなる人でした。 
争いが嫌いで、他人を責めることのない人でした。また、驚くほど動物に好かれる人で、蝶や野鳥が頭に止まったり、野良猫が勝手に膝に入ってきて丸まっていたりしたこともあります。その猫は、父がトイレに用を足しに行くと決まってついて行って、隣の小便器で自分も用を足すのです。それに困った母に、遠くへ捨てられてしまいました。 
口数が少なく、いつも静かに家族の団欒を見守っている人でした。そのくせ時々、はっとするようなひと言を言ってくれる人でした。 
 
趣味・嗜好は高尚な人で、不味いものは決して食べず、健康のために何かを我慢したり、努力したりする人ではありませんでした。肉体労働は本来は嫌いで、家では草の一本も抜かず、怠け者と言われました。 
旅行や人付き合いはせず、車の免許も取ろうとしない変わり者でした。お祭りも好まず、お祭り娘の母には、「面白くない人」だと嫌われました。母の絶え間ない小言には、「おまえは幼稚だ」と言ってよく耐えました。
 
母にはたくさん苦労をかけましたが、最後までありがとうが言えませんでした。そのかわり、病床では母の姿ばかり目で追って、じっと見つめていました。娘には、母のことばかり頼む父でした。 
 
痰がたくさん出て、ひと月の入院で200回近くも苦しい痰の吸引をして、「眠るように逝くなどと世間ではいうが、大嘘だ」と怒っていました。
 
10月3日の夜、母の顔を見て、「もうお別れだ」と言ったのが最後の言葉です。 
4日の午前、ついに力尽きて、最後の時間は眠るように、静かに、静かに、逝きました。 
 
これが私の父です。 
 
もう、いません。
 
 

心の眼で見る ー 五・七・五 文学(2)

さて、続きを書きましょうか。
そうそう、このごろの「五・七・五文学」のところからでした。
このごろの特徴として、句における点景の変質ということがあるように思います。
これまでの1)~4)の句群はみな、点景が圧倒的に句の雰囲気を支配し、そこから感動が滲み出ているといったものでしたが、このごろはちょっと変わってきたようです。
次に挙げる句群は新聞の俳壇から引いてきたものです。いずれも選者の評をもらっている句です。
残念ながら、セイラのコレクションbookにはこの句群のものは入っていません。

5)点景の比重が軽く、散文化した句
  
 a 葉桜や疾うに今年の花忘れ(川越市 Wさん)

 b 退職の言葉少なし赤き薔薇(横浜市 Tさん)

 c 剪るも惜し散らすも惜しや大牡丹(米子市 Eさん)

 d 父の日が恐縮しつつやつて来る(可児市 Kさん)

 e 短夜や目覚まし鳴るを待ちてをおり (新潟市 Iさん)

a~cでは、葉桜や赤き薔薇や大牡丹に目が注がれていて、それが点景と言えば点景なのですが、残り部分の説明的表現がなければ意味を成さない点景です。肝心な感動の方は散文的に説明され、その説明によって点景が引き立てられている格好です。

c・d は点景にはほとんど役割がなく、句全体が散文そのものではないでしょうか? そして、これらの句には率直な良さや日常の一断面を見るおもしろ味があります。

散文書きのセイラには作りやすい気がします。やってみましょう。ちょうど夕暮れ時です。

   今日という命愛しみ緋色日沈む(セイラ)

あ、失礼しました。うっかり、お気に入りの「五・七・七 文学」になってしまいました。やり直します。

   今日という命惜しんで日の燃ゆる(セイラ)
 
こうしたこのごろの句の傾向を「五・七・五 文学」の新しい形と見るか、劣化と見るかは意見の分かれるところでしょう。

さて皆様、最後に、私がこのブログ世界で見つけた珍しい句についてお話ししたいと思います。

6)心が点景を創り出している句

   鳥も鳴くその深き果て風流る

この句の点景は現実にある材料をもって描けるものではありません。
「鳥も鳴く」とありますが、句中に存在するのは鳥の声だけであって姿はありません。作者の視線は鳥には当たっていないのです。
「深き果て」は、どこに目を置けば見えるのでしょうか?これを敢えて点景と言うならば、それは虚空です。何もない所に鳥の声だけを捉えています。
「風」も作者の肌に吹きかかる自然の風ではありません。五感では感知できない風を作者の心だけが感じ取っているのです。
つまり、この点景は心象風景です。
「鳥」の声は、おそらく虚空を突き抜けるような悲しく鋭い声でしょう。「鳥も」と表現されているところから、作者の心もすでに泣いていることが分かります。
「その深き果て」は存在のすべてを飲み込んでしまう、宇宙の深遠に連なる果て無き果てだと思います。
そして、そこに流れる「風」とは無常の風。あらゆる命の彼岸の姿。として捉えられているのではないでしょうか?
まず先に作者の中に表現したい強烈な心情があって、その心の眼で捉えた心象風景を素材としてでき上がった句です。    

もう一つ。

   探りても隠れん坊する鬼ひとり

これも心象風景です。隠れん坊している具体的な場所は関係ありません。
今までみんなと一緒に遊んでいたと思ったのに、ふと気がつくと鬼役の自分一人が、前の句で言う「深き果て」のただ中に取り残されているのです。
何も見えず何も掴めない虚空を、孤独におののきながら必死になって手探りしている作者の姿が描かれています。

この2つの句をブログの中に見つけた時は衝撃でした。目から鱗とはこのことでしょう。
たった 五・七・五 で、こんなにも広く深い世界が描けるのか! こんな複雑な心情(悲しい・恋しい といった単純な一語では表せない、いわば哲学的心情)が描写できるなんて! という驚きでした。
まったく、たまげました。五・七・五の17文字をなめていたと思いました。

心の眼が見る点景を詠んだ句、ここに私は、明日につづく「五・七・五 文学」の新しい可能性があるような気がします。いつか私もこんな句を詠んでみたいものです。

五・七・五 文学 (1)

前回の記事で下手な短歌を披露してしまったついでに、きょうは短歌・俳句といった短詩型の文学について考えてみようかと思います。

 

まずは五・七・五ですが、これを俳句と言わず、短詩型と言ったのには理由があります。私は俳句についての見識が乏しく、うっかり「俳句は・・・」などと言うと識者の顰蹙を買いそうな気がしますし、また、歴史ある俳句そのものを論じようと思っているわけでもないからです。俳句の成り立ちや変遷に関わり無く、この、五七五 というたった17文字の短い表現形式の文学にどのような特徴と可能性があるのかを考えてみたいと思います。

 

「五・七・五 文学」に用いられる素材は、これまでの作品群を眺めてみると 点景 であると言えそうです。ここで言う点景とは絵ではありません。その中には作者自身が存在し、音・匂い・味・触覚・動き をも含む1シーンで、しかも意図的にズームされた1点のシーンです。

さて、その点景を使って「五・七・五 文学」はどんなものを表現できるでしょう?セイラのコレクションBOOKにある有名無名の句を引いていくつかのタイプに分類してみます。

 

1)点景の持つ情趣をそのまま表す句

 

   古池やかはづ飛び込む水の音(芭蕉
  
   霧雨の夕べに浄し娑羅の花(セイラ)

 

臆面もなく並べてみましたこの2つ。できの差はあっても、タイプとしてはお仲間だと思います。

ここで表現されている点景がズームされたビデオ映像と違うのは、どんなにズームしてみてもビデオが表現するものは現実だけだということです。そこには雑多な現実の全てが入ってしまいますし、現実以上の情趣を感じさせることもできません。

それに対して、この短い文学の言葉たちは、取り込みたい情景だけを取り込んでいます。したがって、そこに描かれた点景からは作者の意図した情趣が醸し出されてくるわけです。このタイプの句は昔も今もよく目にします。

 

2)内なる思いを点景に重ねる句

 

   賀状書く1つフォルテの符を添えて(愛知県 藤井高子さん)

 

   ピリオドを忘れた過去に積もる雪(愛知県 塩谷美穂子さん)

 

まず作者の内に思いが存在していて、それにぴったりくる点景を得て外に出た形の句。これもけっこう見受けられます。

 

3)点景から呼び起こされた心の動きを捉えた句

 

   鼻先にひらりと冷たき雪一片  


   白雪に陽光差して春立ちぬ    

 

  *(この2首は瞬時に浮かんだものを書き留めたものですが、どうも自分の句ではないような気がします。誰の句でしょうか?ご存知の方は教えてください)  

 

ふと出会った点景に触発されて湧き起こった自分の心の動きに視線が注がれています。1)とは似て非なる句です。1)では作者は外から点景を眺めています。いわば読者と同じ位置に立っているのです。それに対して、こちらでは作者も点景の一部になっています。

「白雪に・・」の句では分かりにくいかも知れませんが、春の陽の眩しさに目を細める作者の姿が暗に描かれていると思います。

 

4)点景に触発された心の動きをストレートに心情表現する句。

 

   あな嬉しをかしき声のかはづをり(セイラ)

 

   家々の灯火なつかし霧の道(セイラ)

 

 これは3)の仲間ですが、「嬉し」「なつかし」などとストレートに心情表現しているため、3)に比べて芸のない句で、文芸としては駄作とされがちな句です。確かにセイラの句はあまりに単純な気がします。でも、ちょっと待ってください。ストレートな心情表現はダメと言い切るのも早計ではないでしょうか。ストレートな表現には無芸ゆえの素朴な強さがあって、人の胸を打つものです。次の句を見てください。

 

   父母のしきりに恋し雉の声(芭蕉

 

   閑かさや岩にしみ入る蝉の声(芭蕉

 

ここで、「恋し」「閑かさや」とストレートに使われることにより、これらの言葉が本来的に持っている意味(言霊が光っていると思いませんか? このストレート表現を月並みで魅力のないものにしてしまうか、光らせられるかは、残りの字句による表現の巧みさにかかっていると思います。芭蕉さんの句はさすが!と思わされますね。

 

以上1)~4)は点景を素材として感動を描いた句群で、語弊を無視して言うなら伝統的なタイプの句群です。この他に、このごろの新しいタイプの句群があるわけですが、へたれなセイラは、目も頭もすでに限界に来てしまいました。新しいタイプについては、また次回お話しすることにしましょう。 

              (すぐにへたれるセイラ) 

夏の名残

夏の間、シャワーのように降り注いでいた蝉たちの声もすっかり密やかに
 
なり、わずかにつくつくぼうしの声が残るのみとなりました。日差しが和らぎ
 
涼風が吹いています。もうすっかり秋ですね。言葉の森に籠って過ごした
 
私の暑い夏は終わりです。
 
さあ、セイラ再始動の時。

夕方のコーヒーブレイクに短歌らしきものが二つばかり浮かびましたので、
 
まずそれを載せてみます。
 
  涼風に 何を恋ふるや つくつくぼうし 珈琲の香の 燻る夕暮れ
 
  故知らず つくつくぼうしの声聞けば コーヒーの香の 沁みる夕暮れ
 
自分で創ってみて思うのは、俳句形式が点景になりやすいのに比べ、僅
 
か14文字多くなるだけですが、短歌形式は叙情になりやすいなあという
 
ことです。表現の形式と表現されるものとの関係は、密接不可分だという
 
ことですね。

セイラと呼んでください

初めまして。 私は 銀河の旅人 sailor in galaxy です。 今、地球で小説を書いています。

これからこのブログで、私の見た地球人の姿と、それを描く小説というものについてお話しし

ていこうと思います。 

 sailor をとって、セイラー か セーラー と呼んでいただこうかと思いました。でも、

そうすると、sailer (帆船) もイメージされるし、ちょと呼びにくいですよね。

で、-を除くと セイラ か セーラ になります。
そこで、微妙に麗しい雰囲気を漂わせる「 セイラ 」にすることにしました。
自分で自分に名前をつけるというのは、ちょっと嬉しいものです。
みなさま、今後は私を セイラ とお呼びください。
ということで、最初の記事はこれでお終いです。 みなさまの明日が幸せでありますように。  セイラ