友を想う

霧雨に濡れる神社の森を眺めながら、ブログの友人を想っています。
 
今ごろどうしておられるのでしょうか? 何を想っていらっしゃるのでしょう?
 
 
 このブログを始めてすぐに出会って、やがて八年を迎えようとしています。様々な思いや感想を率直に語り合
 
ってきました。時に、共に詠い、呼応の詩歌を交わし合ったりもしました。とても密度の濃い時間でした。
 
その友人からは、たくさんの心に響く言葉を聞かせていただき、何人もの素晴らしい魂に出会わせてもいただき
 
ました。ほんとうに読み巧者で、私の表現しようとしたものをすべて理解してくださいました。だから私は、自分の
 
信じる小説を真っ直ぐに書いてこられたのだと思います。
 
 その友人の声が聞こえなくなりました。しばらくじっと待っていましたが、このところずっとお姿が見えません。
 
私は更新されていない友人のブログへ行って、過去記事を何度も読み返しました。
 
そのうちのひとつに、友人の描いた森の絵があります。一番好きだとおっしゃっていた絵です。ご自分の思いを
 
受け止めてくれた絵であるとも。素晴らしい絵です。どうしたらこんなふうに描けるのかと思うような。
 
でも、私は、ほんとうのことを言うと、少し好きになれない気がしました。
 
そこは、靜かな、靜かな、森です。とても、とても、深い森です。清らかで、本当のものしかない森です。そこには
 
きっと、「ここだよ」という木霊の声がするのでしょう。けれどそこは、誰もいそうもないような、寂しい、寂しい、森
 
なのです。
 
 私の友人はきっと、老いの重荷を一人で抱えて、その森に入って行ってしまわれたのです。
 
できることならもう一度呼び戻して、私はもう一度、哲学する孤独なライオンのようにポツポツと語る、友人のあ
 
の優しい声に耳を傾けたいのです。
 
でも、もう声は、届かなくなってしまいました。春になったら、また森の中から出てきてくれるでしょうか?
 
 
 厚く雲をためた白い空に、かつて友人の詠んだ、あの句が浮かんできます。
 
      探りても 隠れん坊する 鬼ひとり
 
友よ、あなただけの森が、あなたにとって、どうか穏やかで優しい、居心地のいい森でありますように。