文芸作品を読むことの面白さとは?

小説書きにとっては、寒い時代です。

Amazon本の売れ筋ランキング100冊までに、小説は1冊もなし。どこまで下れば出てくるのか、もう探すのも厭になってPCを切りました。

 

きょうは、みなさんに、文芸作品を読むことの面白さ、言葉だけでできた世界の味わいについて、お話しさせてください。

 

表現されたものを楽しむということに関しては、おそらく、

俳句・短歌・詩・小説など文芸作品≦落語≦芝居≦漫画≦アニメ≒映画

の順に人気が高くなるのではないでしょうか。

なぜなら、人間の五感に直接働きかける要素が多いほど、それぞれの感覚を楽しむという点で面白さが多重になるからです。また、自分の知識や想像力を働かせる労が少なければ少ないほど、楽だからでもあります。

けれど、それでは人気下位のものが消え去るかというと、そうでもないと思うのです。

それぞれの表現の面白さには、それぞれに特異なものがあり、面白さの質が違うからです。

感覚的に面白いものが世の中を席巻するようになっても、コアなファンは、必ず、それぞれに残るでしょう。

 

では、小説などの文芸作品を読む面白さは? と言えば、それはもう、作者という一人の人間との出会いだろうと思います。他の表現媒体でも作者の何某かは反映されるものですが、それが最も濃厚に、直截的に伝わるには、言葉に勝るものはありません。

人は誰しも、自分を通してしか世界を感じ取ることができませんが、文芸作品を読むことで、作者という別の人間のフィルターを通して、自分の見ていた世界と共通する部分や、異なる部分を感じることができるのです。

書かれた文章は、即ちその人。文芸作品を読む面白さは、作者と読者という、個人と個人の魂の出会いにあるのだと、私は思います。

 

また、その作品をどう読むかは、読み手自身の、人生経験や心の在りようにかかっています。

「読むこととは、実は、自分自身を書くこと」でもあるのです。

読むことを通して浮かんでくる、様々な想像・感情・理解、それが、すなわち、読者その人なのです。

映像も音もない、文字だけの作品世界は、作者の敷いた文字表現の上に、読者自身が想像空間を立ち上げることによって、初めて完成します。それは、他の誰とも(作者とさえ)違う、その読者固有の世界です。ですから、読者は実際は、自分の描いた世界を見ているわけです。

作品を読むことで、読者はきっと、自分自身が見えてくるでしょう。そして、自分の魂と作者の魂とをすり合わせ、何らかの新しい視点を見出すに違いありません。それが、文芸作品を読むことの面白さです。

 

文字だけでできたものを読むのは、多少の苦労が要るでしょうが、他のものからは得られないものがあります。ブログを楽しめるみなさんでしたら、お分かりですよね。

みなさん、短歌・俳句・詩・小説……文芸作品に手を伸ばしてみてくださいね。😊