小説の森で - 11.文学は何ができるか (1)

    今から半世紀も前のこと。フランスの学生機関紙「クラルテ」が、当時活躍していた6人の作家を招いて「文学は何ができるか」というテーマで討論会を開いたそうだ。その時の記録がたいへん面白い。その六人の作家の主張にしばし耳を傾け、各人の文学論を要約してここに書き出してみる。

 

 <ホルへ・センプルン
18歳で祖国を追放され、ナチス政治犯収容所で生活。スペイン共産党員。
 
「文学の力とは異議申し立ての力である。真実を示し、読者の非難憤激を買う力である。大衆文化の振興は、そういう文学の力を中和しようというブルジョワジーの戦略であり、ノーベル賞もその一つだ」

 
ジャン・リカドゥ> パリの教職者であり、作家。
 
「文学とは習練された言語行為(書くという行為)によって自ずと出現する一つの架空世界である。文学は、そうして出現させた架空世界を現実世界に対決させ、検討させるものである。(おまえは、おまえがそうであると称している通りのものなのか)と、世界に問いかける力がある」

 
ジャン・ピエール・ファイユ
 哲学者・社会学者・小説の他に、詩・劇作も手がける。
 
「文学は信号を送る能力を持ち、遠いところから変革の下準備をすることができる。信号がどんなふうに我々に語りかけているかを示し、我々の現実がいかなる信号を通して我々の方へ到来するかを、語り得る」

 
イヴ・ベルジュ> 評論家でもある。
 
「人間は現実を逃れるために書き、読む。文学世界は真実で、欠乏も、飢えも、死もない完璧な夢の場である。よって文学作品が、現実世界における人の行動を変えることなどない。ただ、その想像世界は真の生の感じを与え、読者がその想像界から現実界へと帰った時、彼が想い起こす想像界は、この現実界を非難する。文学にできるのは、そういうことだ」

 
なるほど、彼らの主張を総合すれば、文学には「現実を検討したり、非難したり、異議を申し立てたり、その変革のための信号を送る力」があるようだ。


彼らの論の導き方には処々異論もあるけれど、文学の力に関する彼らの結論については、私は反対はしない。そういう力も確かにあるように思われる。私が「沙羅と明日香の夏」で描いた 『空気による虐め』や『自然や命を見つめること』も変革への信号の一つだったと思う。
ただ、それだけだろうか? 彼らは、文学を現実社会との対峙においてのみ捉えている。そこに大きな欠落がありはしないだろうか。

次回は、サルトルボーボワールの言葉を聞いてみることにしよう

小説書きの卵さんたちに

「青い鳥のロンド」にレヴューをくださったブログの友人 池ちゃん から、こんどは小説執筆上のアドバイスをいただきました。 こつこつと孤独に小説を書いてみえる小説書きの卵の皆様にも、ご参考になるかもしれませんので、公開させていただきます。


こんにちは。僭越ながら気づいたことをお伝えします。

今回は特に女性向きな作品でした。それはセイラさんの個性ですから、さらに女性に特化させても良いのではないかと思います。
書き出しから光と風を感じ、とても良かったです。あと一つ欲しいのは「匂い」。

女性の脳は、地図を読んでも「○○ビルから○メートル」ではなく「クロワッサンの美味しいあの店の向い」であるとか、そういう"感覚"の情報が先に来ます。
嗅覚は思考回路を通さずに脳にダイレクトに来ますから印象に残りやすく、味覚・嗅覚から思い出も紡げますからね。
ですので食べ物の表現も、色や味以上に香り・匂いの表現によって、さらに女性に印象付けられると思うので、不本意かもしれませんが、嫌味にならない程度に最大限「匂い」も盛り込んでみてはいかがでしょう。
ストーリー以上に「食べ物」の印象付けは大事ですよ。

また、テーマはとても魅力的なのですが、読んでいて心に起伏が起こりませんでした。
それは、それぞれの「場」の書き出しも、主人公も会う友達のテンションも一定、つまり冷静なのです。ですので「場」が変わってもまた同じところが始まるような錯覚を覚えてしまいます。
「対比」の話を以前しましたが、友達一人一人の個性の設定をもっと大胆にしても良いのではないでしょうか。

○子は店に入ってくるなり「ねえ聞いてよ、失礼だと思わない? わたし頭に来ちゃった」と、言い終わるか終わらない内に大きな荷物を床にドンと置き、私の顔を覗き込んだ。隣のテーブルの学生が驚いた表情を見せたが彼女はお構いなし。○子はいつもこうなのだ。

例えばこうすると、主人公のテンションが一定であったとしても、前までの「場」の空気がパッと変わり、友達のせっかちな個性も瞬時に伝わります。
場が変わっても「いつも同じ感じ」という危険性を排除できますよね。

いつも彼女はボンゴレを頼み、話に夢中になりながら、手元を一切見る事も無くパスタと一緒に魚介の香りをくるくると凄まじい速さでフォークに巻き付ける。器用なものだ。

みたいな表現も、料理のイメージとともに○子の表情まで伝わってきそうですし、次に彼女が言いそうなことも豊かに湧いてきます。
別の友達は、また違う個性があると面白いし、場によって空気が変わり飽きさせない。

〇美はやはり早く来ていたようだ。どんよりした空気が辺りを取り巻くので彼女だとすぐにわかる。私は思わず「どうしたの? 大丈夫?」と心配してしまうのだが、結局はいつも愚にもつかないことで悩み、落ち込んでいるだけなのだ。「いつもの落ち込みね。元気で安心したわ」「ひど~い、何よそれ。何か奢ってよね」
「甘いものを食べると気分も明るくなるって本に書いてあったわ。ケーキでも食べよっか」

と、柑橘系の酸味が鼻をくすぐるタルトであるとか、何を食べさせれば彼女に似合うか考えるのもまた楽しい作業です。

これらの手法を使ったからと言って、エンタメに傾くわけではありません。
純文学や文芸作品などでも、料亭や旅館、あるいは蕎麦屋などで食べ物の描写が魅力的に描かれます。
これを生かさない手はありませんよ。
とりあえずお伝えいたしました^^


登場人物の個性の鋭角化、嗅覚の効用・・・なるほど、ですね。
次こそ・・・・頑張るぞ! という闘志が湧いてきたセイラでした。
池ちゃん、今回も的を射たアドバイス、ありがとうございました

次々と来る「青い鳥のロンド」レヴュー

次作の執筆に取りかかっている緋野ですが、9月に入ってからパタパタとレヴューが届きます。出版からすでに3か月、どうして今? と思いましたら、どうやら書店で注文してくださった方たちのようです。
出版のご案内を送ったのが確か7月の中旬だったと思いますので、下旬に書店に注文していただいたとして、本が書店に届くまでに1か月~一か月半かかったと思われます。 
出版・書店業界を悪く言いたくはないのですが、この遅さ! 取次制度に起因するものでしょうが、何とかならないのでしょうか。 これでは書店さんは、とてもネット書店には勝てません。

書店で注文してくださった方々、ご不自由をおかけしましたが、町の本屋さんの存続に貢献していただけたと思います。ありがとうございました。

          

           

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    60代の女性(主婦) M さん からのメール


どんどん読めて一気に読み上げましたよ。ただ漢字が難しかったです。
よくあるパターンながら共感できる内容で興味深く読みました。

夢子さんや栄の魔女の存在は面白かったです。
小説としてはどうでもいいことなんですが、夢子さんの生活を支えている男性の奥様のことを考えてしまいました。
それと、あの小説、テレビドラマとかで連載ものだったら面白い、と思いましたよ。
よくある日常のことだけに共感する人も多く、楽しめるような気がしました。


Mさん、ありがとうございました。
私の小説はいつも、普通の人の普通の生活の中にあるものを描いていますので、よくあるパターンばかりと感じられることでしょう。ダイナミックさや奇想天外な面白さはないのです。
でも、退屈されなくてよかったです。
漢字のことは前記事の A さんのレヴューにもありましたね。ルビをふるべきでした。ごめんなさい。

 

     70代の女性(自営業) K さん からのメール


「青い鳥のロンド」 一気に読みました。
あんな小説が書ける緋野さんはあらためてすごいなと思いました。
女心、夫婦の機微など胸のすくようなタッチで描かれていて、もしあれが有名人の作品ならすぐ書店に並び、話題となったことでしょう。
 なかなか世に出るってことは難しいってことですね。
 
一つ、えらそうなことを言わせてもらえば、登場人物の生き方が従来の型に嵌っていて、いわゆる新しさがないこと。ドラマの「逃げ恥」が当たって、私的にはこれ何?って感じだったけど、文学の世界ではそういったありえないような取り扱いがアピールするのかも・・・・。
 
でも、わたしにとっては面白いいい作品でした。教室の生徒にも回し読みしたいと思っています。


Kさん、ご感想にアドバイス、ありがとうございました。
新しい生き方・・・まさにそれを模索しつつ書いたのですが、目を見張るようなものは生まれず、結局、四人はああいう形になりました。
「奇抜な発想を」ということは、いつも編集さんに指摘されるところですし、それがトレンドだと思います。ですが、そこに売らんかなの嘘臭さが漂うと、どうも我慢できなくて。
いっそファンタジーの世界を描いたものであれば、いいのですけれどもね。

文学は衰退の一途を辿り、いまや大衆文芸、それもドラマ的なものの洪水です。
ありきたりな人生を描いて、たくさん売れようというのは無理な話ですよね。
私は世に出なくてもいいんです。魂の通う誰かに、私の魂を残したいだけですから。

また、いただきました。「青い鳥のロンド」 レヴューです。

大学時代の同窓生、同じ専攻だったAさんからもお手紙をいただきました。ほんとうにありがたいことです。
本の感想に関わる部分だけ抜粋して掲載させていただきます。

 

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 大変遅ればせながら・・・・この夏、「沙羅と明日香の夏」 と 「青い鳥のロンド」 を読みました。いずれにも、作者の生きることに対する真摯な姿勢を強く感じました。
 
 今年出版された 「青い鳥のロンド」 では、子育て中のもやもやした気分を思い出しました。
手伝っている、恐妻家だといった夫の言葉にいちいちいらだち、子どもに対しては急かしてばかり、座る間も惜しんで一生懸命やっているつもりでも、自分の時間が持てるのは夜中で、それから仕事の準備をするものの、いつのまにかうつらうつら。
子育ても不十分、仕事も不十分、なのに夫は仕事で忙しいと休みも不在・・・。 
 
我が家の場合、夫の態度が変わったきっかけは、夫の両親が倒れたことでした。土日を利用して、しばしば遠方まで帰ったりする中で、家族のこと、夫婦の事、色々思うところがあったのでしょう。
子どもの反抗期も重なり、家族の形が揺らぐ中で、それまでよりも積極的に家事を担おうとするようになりました。
と、小説に触発されて、来し方を振り返ってしまいました。
 
 上の息子は結婚し、お嫁さんは今は家にいます。息子がそちらを望んだようです。でも、休みの日には食事の準備をしたり、育児休暇を1か月取ったりと、子育てにおおいに参画しているようです。
また、私の職場はしっかりした女性が多く、主要な部署で女性が力を発揮しています。公務員が恵まれているという点はあるでしょうが、男女を問わず力があれば影響力を発揮できる環境は、少しずつ整ってきていることは確かだと思います。
 
 二作を読んで、結末の部分が素敵だなと思いました。理想論に縛られず、今の自分の条件の中で、より良い方向を目指す努力を続ける。そのことをうまく描いていると思いました。
私の両親は今、認知症が進んできています。何事もすっきり解決できる問題はありませんね。いつも片付かない状態です。 でもその中で、自分の人生を大切にすることを諦めてはいけないなと思います。 「幸福」 の問題は、一生のものですね。
 
 少し気になったところが二点ありました。
 ・「看護師」 ではなく 「看護婦」 なのは、何か訳があるのでしょうか。
 ・難読語が使われていますが、読者を選ぶ意図が無いならルビが付されているほうが親切ではないでしょうか。
 
    **********************


A さん、ありがとうございました。そして、さすがですね。文学からは少し離れたお仕事をされるようになりましたけれど、目は確かでいらっしゃる。
 
ご指摘の点、ごもっともです。私の両親は山奥と言っていいほどの田舎に住んでいて、病院に連れていくたびに、患者さんたちの誰もが(看護師さんたち自身も)、「看護婦さん」 と呼ぶのをずっと聞いていましたので、言葉に鈍くなってしまっていました。「看護師」と書くべきであり、私の不注意でした。
 
また、難読語とは、たぶん登場人物の名前のことではないでしょうか? そこも気配りが足りませんでした。書き直しを通して自分で何度も彼らの名前を呼んでいるうちに、そう読むことが自然になってしまっていました。読者の皆様、読者を選ぼうなどという意図は、私はこれっぽっちも持ってはいません。ただ単に、迂闊だっただけです。 ご不自由をおかけしましたことをお詫び申し上げます。
今さらですが、いちおう
 
菜摘子 (なつこ)   翔子 (しょうこ)   百音 (もね)   麗 (れい)  
護 (まもる)   菜摘子の姉・遥 (はるか)
 
のつもりです。すでに独自の読み方をされた方は、それでも何の問題もありません。そのままの呼び方で、記憶に残していただければと思います。
 
 
「青い鳥のロンド」 緋野晴子著
         (リトル・ガリヴァー社) 1200円
   
就職氷河期の中でなんとか思いどおりの道を切り開き、仕事も結婚も手に入れた4人の勝ち組女たち。 夢を追う菜摘子を取り巻く人々、ある日忽然と現れた栄の魔女夢子さん。30歳を迎えた彼女たちを待っていたものは・・・。
 
今を生きる男女に、幸福の真の意味を問う現代小説。 
                   (舞台は 名古屋市 栄)                              
                                                                                    
 
     あなたは青い鳥が見えますか?
 
「一番好きだった人と、幸せの奪い合いをしている」    

 「心の震えは何物にも代え難いわ。ああ、生きている」                                              
 
「他の人たちにも何か不幸があったらいいのに……」     
 
「何だかんだ言っても、私たちはそれでも勝ち組なのよ」                                         
                               
「オマエは空っぽだって、喉の奥から嫌な声を出して笑うの」                          
 
「フッ、フッ、夢は掴んだとたんに消えてなくなるシャボン玉」                        
 
「暗闇の中で、君と僕のことを想って泣いた」                       
 
 
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小説の森で - 10.文学にノーベル賞はそぐわない

家じゅうの開け放った窓を、9月の清涼な風が吹き抜けていく。 
秋が来た!
出版騒動の夏は終わったのだ。できるだけのことはしたのだから、もう十分だ。売れ残った本は出版社に返っていくだろう。「さあ、書くのだよ」と、小説の森が私を呼んでいる。自分の場所に帰ろう。

 

 
   小説の森で - 10.文学にノーベル賞はそぐわない

 

 今年もノーベル賞の季節に入った。
昨年はボブディランがノーベル文学賞を取ったというので、世界に衝撃が走ったものだ。彼は作詞(詩)をするといっても、ご存知のとおり有名なミュージシャンであり、主体がミュージシャンなのにと、受賞に異議を唱える声も聞かれた。

 確かに、彼の詩は楽曲を伴うのが前提の詩だから、文字だけの文芸の世界においてみると、異端に見えるかもしれない。けれど、詩とは元来、その内に韻律を含むものではないだろうか。詩だけでなく、小説だってそうなのだ。書かれているのは文字だけだけれど、それを書く時も、読む時も、人の頭の中には文字が音声となって響いているはず。だからこそ、作家は響きの良い表現を模索しもするのだ。

 ボブの心に湧き出でた詩の言葉が、彼の歌となって声に出た時、それが文学的な内容の詩であるならば、十分に文学の仲間であると私は思う。
そして彼の詩はあきらかに、緋野の考える「文学」の本質の上に立っているものであり、さらに、世界に与えた影響には偉大なものがある。だから私は、昨年のノーベル賞の選考にだけは、そういう意味で「あっぱれ」と申し上げたい。
 
 ところで、このノーベル賞だけれど、過去の受賞者を思うにつけ、緋野の頭には ? ばかりが浮かんでくる。
 そもそもこの賞を創設したアルフレッド・ノーベルは、「理想的な方向性(in an ideal direction)」の文学を対象とし、理念を持って創作し、最も傑出した作品を創作した人物に授与される、と規定していたようだ。

 それはつまり、基本的に、人類の幸福な未来を志向し、少なからず貢献する作品・作家、ということではないだろうか。人類の幸福を支えるのは自然科学だけではない。文学にも賞を与えて振興しようという意図には共感できる。
けれども、では、最も傑出した作品・作家というのは、どう選んだらいいのだろう? そもそも文学作品の価値に、順位などつけられるものだろうか?
 
荒川洋治さんの「ぶんがくが すき」(『文学が好き』旬報社)というエッセイに次のような言葉があった。(これはブログの親友、セネカさんの声を通して聞いた言葉)

 <そっと夜、ひとりで、涙をながすような気持ちで。
ぼくは「ぶんがくが すき」なのだ。>

 

 文学は、それを書くたったひとりの人間の魂の放出であり、またそれを読むたったひとりの人間の魂に呼びかけるものではないだろうか。その出会いはきわめて個人的なできごとであり、ひとつの作品がすべての人に同じ感銘を与えることはなく、よって、同じ価値を持つものでもない。
 その魂と魂との出会いの意義・価値を、その高低・軽重を、いったい誰が測れるというのか。

    最も傑出した文学作家を毎年ひとり選ぼうなど、無謀なことだ。文学にノーベル賞はそぐわない。緋野はそう思う。
まあ、そういうものという前提で、たまたま幸運な人が拾われると考えれば、それはそれでいいのかもしれないけれど、熱くなるほどの価値はない。

 

世間はなぜそう騒ぐのだろう? 今年こそ村上春樹ではないかと、熱い期待を寄せる声がまた湧いてきそうだけれど、村上さんは迷惑しているだろうなと思う。世界で最も受け入れられている作家の一人、それだけで十二分ではないかと緋野は思うのだけれど。

二つの声援

私がずっと若かった頃にいっしょに働いていたMさんと、仕事上で関わりのあったSさんから、お便りをいただきました。お二人とも、「青い鳥のロンド」を読んでくださったとのこと。 もうほんとうに長い間疎遠になっていた方たちです。

どんなに時が遠のいても、私が私の人生において出会うことのできた人たちはみんな、「私の人生」と呼ぶ過去を構成する、掛け替えのない人たちなのですね。
どの一人も、私にとって欠くことのできない大切な存在だったのだと、つくつくぼうしの声を聞きながらお手紙を読んで、しみじみそう思いました。

 

   M さんのお便り (抜粋)

 本当に、本当に、お久しぶりです。そして、出版おめでとうございます。
「青い鳥のロンド」読みました。幸せとは何か、いろいろ考えさせられました。後半はどうなるんだろうとハラハラ・ドキドキ、物語に引き込まれ一気に読みました。最後、若い夫婦が自分たちの幸せを見つけたところで、思わず涙があふれました。
 私は、仕事はすごく楽しいですが、子どもたちにいろいろ苦労があり、夫は単身赴任でほとんど会話のない毎日。夕飯はほとんど一人です。母は認知症がひどくなって施設に入りました。
 幸せか?と問われると、幸せのようでもあり、でも悩みもたくさんありますね。
 また新刊を出される時はお知らせください。頑張ってくださいね。

 

   S さんのお便り (抜粋)

 「青い鳥のロンド」 読ませていただきました。これほどの長い作品を書かれた緋野さんの意欲とお力に感心させられるとともに、今もなお、みずみずしい感性を持ち続けられることに感動です。
豊橋の友人などにも紹介し、「若い頃に読んでいたら、また違った生き方をしていたかも・・・・・」と語り合いました。
次回作にも期待しています。

 

M さん、S さん、お便り、とても、とても、嬉しかったです。 ほんとうにありがとうございました。頑張って、次回はもっといい作品を書くつもりです。何年後に出せるか分かりませんが、待っていてくださいね。

 

「青い鳥のロンド」 緋野晴子著

          (リトル・ガリヴァー社) 


     ほんとうに幸せなのは誰なのか?
          幸せの条件とは何か?
     青い鳥はいるのか?

 

就職氷河期の中でなんとか思いどおりの道を切り開き、仕事も結婚も手に入れた4人の勝ち組女性たち。 夢を追う菜摘子を取り巻く人々、ある日忽然と現れた栄の魔女夢子さん。30歳を迎えた彼女たちを待っていたものは・・・。
今を生きる男女に、幸福の真の意味を問う現代小説。                              (舞台は 名古屋市 栄) 

ぼーちゃんの読む 「たった一つの抱擁」

前記事のぼーちゃんが、緋野晴子の最初の作品 「たった一つの抱擁」 も読んでくださって、またレヴューをいただきました。ほんとうにありがたいことです。

 

 「たった一つの抱擁」・・・・振り返ってみれば、ちょうど10年前です。末息子を大学に入れてしまって、「さあ、これから私は小説を書いて生きていくんです。本気なんですからね」と、私を便利屋のように思っている家族に宣言するために出版した、初めの一歩でした。

 初筆の気負いで描いた作品で、小説の形としてはやはり成功していないと思いますので、今では読んでいただくのも心苦しい感じがして、あまり売ろうと思ってはいないのですが、せっかくこれだけのご感想をいただいたのですから、ぜひレヴュー書庫にいただきたいと、ぼーちゃんにお願いしました。

 

書きたいテーマはいろいろありましたが、夫婦の生態に切り込んだ小説はほとんどなく、出版社に受けそうでしたし、一番売れそうな気がしましたので、これを最初に出版しました。

 世の夫婦のために書いたのですが、レヴューは男性読者からのほうが圧倒的に多く、予想外でした。女性も読んでくださったのですが、読んでいると多分苦しくなるのでしょうね、みなさん、言葉少なのコメントでした。   
ぼーちゃんは、よくこれだけ書いてくださったものです。思わず「逃げない女ですね」と言ってしまいました。以下が、ぼーちゃんのレヴューです。

 

     *******************     
      
『たった一つの抱擁』読みました。

 

 私、このお話し苦手です(>_<) 読んでいて心が苦しくなって途中で投げ出したくなってしまいました。
・・・だってあまりにもリアルに女心が表されていて、私自身の心を回想させられてしまったんですもの(≧▽≦)・・・・
夫・夫・夫・ 愛・ 恋・・・ムムムム・・・(>_<)

 

ある本に書かれていた文字、夫婦とは究極な男と女の関係である・・と なるほど 私なりに解釈したのです、色々な面、憎しみ・嫌な所、醜さ、そして愛おしさ・恋しさ・全てを認めて受け入れて一緒に歩む・・・

そこには多少の諦めの心も、ある意味心を楽にする一つの方法である気もするのです。私が多分そんな部分があるんかなぁ 。(笑い)

 この本は家庭を持ち子供を持った女性の心の動きを事細かく描かれた物語で、この本を読まれた女性のほどんど100%に近い方達が共感できる内容ではないかと私は思います。 私的には少し違う部分もありましたが・・・・

捉え方は男性脳と女性脳の違いも大いにありますよねっ(^_-)-☆
夫婦間も根源は人間関係だと思いますし、その人間関係の一番大切なものは、何と言っても優しさ、そして相手を思いやる心だと私は思うのです。

 この物語の終板の旦那様に宛てた手紙の部分からの発展がジィ―んと心に沁み込む感じがあり、何よりも・『たった一つの抱擁』・これでOK
私の好きな感覚で物語を読み終えてホッっとしました。

確かに 『たった一つの抱擁』・・これなんですよねっ 。女性の本当の心に響く行動 。その意味が心に響きました。 まさにこれなんですよねっ  読んでいて起きてくる苦しさが これでスぅ~^っと消えましたもの・・よくぞここまで捉えて文章に表せられるものだと、驚きと感動でいっぱいでした。

逃げない女 ぼーちゃんです

 

     *******************
 
ぼーちゃん、ありがとうございました。

実はこれまで書いた3作は、女性の人生をあらゆる局面で描いてみようと思った女性シリーズの各部分なんです。ですから登場人物はみんな繋がっています。「たった一つの抱擁」の主人公綾子は、「沙羅と明日香の夏」の明日香の母で、「青い鳥のロンド」の主人公・菜摘子(なつこ)の兄嫁です。次は菜摘子の姉・遥(はるか)を主人公にした恋愛テーマ小説を書く予定です。

 女性の人生を・・・と思って書き始めた女性シリーズですが、書いてみると、どの局面においても男性の人生と不可分であることが分かりました。ですから男性も読者になってくれるのでしょうね。

 

夫婦間のことが最も難しく、私自身がもう書くのが苦しくて投げ出したくなりましたが、女の一生を描くならここを避けては通れまいと、蜻蛉日記を読み返しては、自分に都合のいいことも悪いことも、何一つ隠し立てせず己が真実を暴き立てる、もの書きの業を持った女の強さを見習いながら、四苦八苦して作った作品です。


小説中の出来事はすべてフィクションで、私小説ではないのですが、綾子の体験した心理は、筆者である私自身の内から出たものでありますし、リアリティを増すために日記というドキュメントタッチで描きましたので、綾子に関しては、本当のことと思って読んでいただければ本望です。
ただ、私の夫の人権のために、綾子の夫は著者の夫とはまったくの別人であることをお断りしておきます。私は私小説は書きません。

 


 「 たった一つの抱擁 」緋野晴子(文藝書房) ¥1296

 

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いつの間にか乖離してゆく夫婦の愛と性を、妻の側から見つめた作品。
女とはどういうものか? 男とはどういうものか? 
夫婦が愛し合い続けるとは、どういうことか? 
妻であるあなたも、夫であるあなたも、読んでみていただけたらと思います。

 

ネットショップ「楽天」にはまだたくさんありますので、興味を持たれた方はお読みになってみてください。ただし、女性も男性も、苦しくなるのは覚悟してお読みくださいね。男と女の真実は苦しいものです。