え!楽天も売り切れ? 小説「青い鳥のロンド」

8月に入って身辺が俄かに慌ただしくなり、パソコンに向かえないまま日々が過ぎていきました。
今日こそは 「小説の森で」 記事を書こうと思い、その前にいつもの習慣でチラッとネット書店を覗いてみると、あらら? 「あと在庫3冊」となっていた楽天ブックスが、「メーカー取り寄せ」になっているではありませんか! ですので、急遽、記事変更です。
 
ネット書店に返本はない(買取)と聞いています。ということは、売れた?んですよね。
以前、「楽天で買ったよ」という報告をいただいたのがお一人、その後、在庫数の減少1を確認しましたので、つまり楽天在庫分合計5冊が完売されたということですよね。
ばんざ~い! 
 
たった5冊売れたくらいで何を大袈裟な、と思われるかもしれませんが、本はなかなか売れないんですよ。一般の書店と違って買取で置いてくださるネット書店です。置いていただいているのを見ると、著者としては有難くも思い、また、売れていかないと申し訳なくも思うものです。
ですから完売されたということは、ネット書店さんに少額ではあっても確かに利益を上げていただいたということであり、また、「青い鳥のロンド」の読者さんが確実に5人増えたということでもあって、1000人の読者さんを目指している緋野のような書き手にとっては、十分万歳に値するのです。
 
他に何の宣伝もしていませんので、このブログでの紹介や、読者さんたちのレヴューを見てくださった方たちだろうと思います。
買ってくださった3人の方々、ありがとうございました。そして、レビューをくださった方々も、ありがとうございました。皆様のお陰です。
 
まだ以下のネット書店には在庫があり、すぐに発送してくれるようです。
 Amazon  BookFan  DMM.COM  
 (送料無料)
 紀伊国屋 BookWeb  honto  e-hon  
   セブンネットショッピング  ヤマダモール
 (会員になっているとか、配送方法とかの選択によっては、送料無料かもしれません)
 
 もちろん 楽天ブックス に注文することもできます。時間は少しかかるかもしれませんが。
 
 
ネット書店の良さは手軽に早く手に入ることです。
皆さまもお盆の旅路のお伴に、「青い鳥のロンド」 はいかがでしょうか? (と、すぐに宣伝する緋野です。笑  ・・・ だって、1000人の読者さんには、まだまだ遠いのですもの。頑張らなくちゃ。)
 
 「青い鳥のロンド」 緋野晴子著(リトル・ガリヴァー
 
  ほんとうに幸せなのは誰なのか? 
       幸せの条件とは何か? 青い鳥はいるのか?
                    
就職氷河期の中でなんとか思いどおりの道を切り開き、仕事も結婚も手に入れた4人の勝ち組女たち。 夢を追う菜摘子を取り巻く人々、ある日忽然と現れた栄の魔女と夢子さん。30歳を迎えた彼女たちを待っていたものは・・・。
今を生きる男女に、幸福の真の意味を問う現代小説。 
あなたは青い鳥が見えますか?
 
 
以下の書店で平積みされましたが、そろそろ無いところが出てきたかもしれません。
 
   名古屋    三洋堂書店 (込中 店)(塩釜店)  
          ジュンク堂(名古屋店) 
          本の王国(中日書店)  
          ちくさ正文館書店(本店)  
          ライブラリー大曽根
   豊  橋   豊川堂 (本店) (カルミア店)
                               (アピタ向山店)
          精文館 (本店)
   豊   川    あおい書店 
   豊   田    くまざわ書店
   刈   谷         くまざわ書店
   知   立    夢屋書店
   高   浜    三洋堂書店 
   新  城  夢屋書店ピアゴ店)

ご近所に住む86歳の歌詠みの男性O氏から、緋野の小説「青い鳥のロンド」にレヴューをいただきました。息子のアパートから自宅に帰ったある日、ふと郵便受けを覗いてみると、封書の中に、原稿用紙に書かれたお手紙が入っていました。
すっかり遅くなってしまいましたが、感謝と敬意をこめて以下に掲載させていただきます。
 
 
    青い鳥のロンドを読む
 
五月末、重い小包が届いた。7人に配布し、出版社に送金して、あとは夕暮れ時も、夜も、深夜も読み続けた。
86歳の私とは違った若い世代の世界があった。
 
 場所は名古屋の栄、街のど真ん中である。登場人物は、菜摘子・翔子・麗ちゃん・百音・そして若い夫。
夫の妻との思いがリアルに描かれている。会社のことも、編集長のことも、現実社会の描写がリアルだ。
50ページの描写がいい。「健太の布団にすべりこみ、小さな体を抱いて寝た」
90ページあたりが面白い。麗の行動と夫の反応。麗ちゃんの姿がリアルだ。
126ページも面白い。男というものについて・・・優しい男、夫の変化・・・いろいろなことが分からなくなる。このあたりの描写、うまい。
夢子さんと栄の貴婦人は現実の人ではない、夢の中の人のようだ。
 
 青い鳥とはなにか? メーテルリンク以来、人々は青い鳥について考え、書いてきた。青い鳥は人々それぞれにとって違う。緋野さんは、この小説の中の人物のように、青い鳥を見つけるために書いている。
 緋野さんは、一生懸命に書く。家族の世話をしながら、御主人の仕事を助けながら、時間を見つけてせっせと書く。夜も朝も、自分の青い鳥を求めて。
 だが、私には「青い鳥のロンド」のテーマは理解しにくかった。
私は短歌を作る人間で、私はふるさとを描くために書いている。86歳の明解な短歌を作っている私には、はっきりしたテーマが欲しい。漱石の「坊ちゃん」や伊藤佐千夫の「野菊の墓」、野間宏の「真空地帯」のような単純・明解なテーマが。
小説は百人百様であっていい。どんな風に書いても小説なのだ。小説は自由なのだ。だが、私にはテーマへの共感が欲しかった。
 
 でも、緋野さん、よくやったね。私の計算では300枚以上書いたと思われる。
介護、仕事、よくやっているね。あなたの青い鳥、真剣に読みました。
ありがとう。 ありがとう。
次回作も、近いうちに見たい。86歳、あとが少ないから。
               平成29年、五月末、土曜日書く。
 
 
一生懸命に作品の良いところを見つけて、私を励ましてくださろうとするO氏の温かさが心に沁みます。Oさん、ありがとうございました。
 
子ども時代を戦中に過ごし、ご家族を数人亡くされ、貧しさと闘って苦労されたOさん、安全・平和への活動、仕事、生活向上、地域社会への貢献・ふるさとの良さを残す短歌・・・・Oさんは、幸せとは何か?と迷うことなく、幸せの方向を誤らずに生きて来られた方なのではないだろうかと、レヴューを読みながら思った緋野です。
夫は外、妻は内、と夫婦の分業がはっきりしていた世代、働くことの第一目的が生活の向上であった世代には、平成の人間がめざす幸福や、平成の家族が抱える幸福への迷いは、理解し難いようです。
いえ、Oさんの世代というよりも、一般に男性読者の反応が鈍いのは、もしかしたら、男性たちの意識はOさんの世代とほとんど変わっていないからかもしれません。
この小説が投げかけているものは、幸せに迷うことのない人には、興味の湧かないものでしょう。幸せは人それぞれと言ってしまえば終わることです。
けれども、ここに登場する四夫婦の悩みは、単に彼らひとりのものではなく、この時代の若い家族たちの悩みです。そこを直視することが、より幸福な人間の未来に繋がると、作者の緋野は思うのですけれどもね。
やっぱり、どうも上手く書けていなかったのかもしれませんねぇ。反省。
 

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書き手と編集さん

緋野晴子の「青い鳥のロンド」は売れているのだろうか? と、また考えても詮無きことを考える。 「沙羅と明日香の夏」がよく売れたのは、推薦があって、教育界にアピールしたためだろう。 今回は何もない無名人の文芸書。そうでなくとも売れない文芸書だから心配している。

たくさん売れるとは思っていないし、たくさん売れなくてもいいのだけれど、書店からある程度売れてくれないと困る。 出版社さんに借りが返せないから。
 
書き手にとって、編集さんという存在は、たいへんありがたいものだ。 一作書き上げても、これではまだ駄目だと自分で思う部分があって、さりとて書き直しは厄介なものだから、なんとなくズルズルと日常の仕事に埋没していると、見ていたかのように電話が来て、「作品はどうなった?」と聞かれる。「まだ不十分なので投稿もしていません」と答えると、ビシビシ尻を叩かれる。
 
 「漫然とひとりで書いていては駄目だ、誰かに読んでもらえ、師を持て」
 「毎日、必ず書け」 「10回でも20回でも書き直せ」 
 「辞書を暗記するほど言葉の勉強をしろ」 「文学サークルに入れ」
 「少なくとも3冊は出版しないと書き手として相手にされない」
 「どっちを向いて書いてるの? 売れるほう? 文学界?」・・・等々
 
編集さんのアドバイスを受けて編集さんの社から出版をという、半分は営業トークの一環だと思うけれど、それだけでもない。小説への熱意が伝わってくる。
マイペースでやればいいと思っている私も、妙にこのままではいけないという気持ちになってくる。
 
結局不十分なまま投稿した文学賞に落ちて、出版社に原稿を送ると、こんどは、これでもかというほどクソミソの評が来る。けれどもそれらは、実は自分でも、これではと思っていながら厄介なので目を瞑っていた、その何かばかりなのだ。そこをパンパン指摘されると、実に気持ちがいい。この人の眼は節穴ではないなと思うと嬉しくなってくる。
 
それで、(ブルータス、君もそう思うか)というわけで、(しょうがない、やるか)という気持ちになる。そしてやると、面白いようにできるのだ。
メスを入れるのが面倒だったところほど、入れてみると思わぬ良い展開が生まれるという実感がある。 出版作はそうやって生まれる。
 
出版社は慈善事業をしているわけではないから、何のネームバリューもない作者に全額の援助はしてくれないけれども、かなりのただ働きをしてもらっている。
今回は予約をたくさんいただいたお蔭で、少なくとも損害は出さずに済んだのではないかと推測するけれど、できれば利益をあげていただきたいと心から思う。
 
リトル・ガリヴァー社の編集さんとの出会いは、緋野晴子にとって大きなものだった。この出会いがなかったら、2冊の出版は無かったろうと思う。感謝している。
 

遠隔操作透視の目?・・小説「青い鳥のロンド」レヴュー

緋野のブロ友、池ちゃんの「辛口レヴュー」から、ぼーちゃんが、緋野晴子の小説「青い鳥のロンド」に興味を持ってくださって、Amazonで購入してレヴューを書いてくださいました。有難いことです。
 
いただいたお言葉を、ここに掲載させていただきます。(セイラというのは緋野のブログネームです)
 
 
 
セイラさん、読ませていただきましたよ『青い鳥のロンド』 セイラさんのブログ友の池ちゃんのレヴュー記事の中の『何とつまらない物語だろう』との表現が妙に気になり、私はどんなふうに感じるのか、どうしても読んでみたくなったのです・・・
 
読み始めてまず感じたことは、ほんとだわ 池ちゃんがおっしゃられるように・・・ごめんなさい つまらないお話・・
 
と思った理由は、四人のお話の話題・・・『勝ち組』 とか 『負け組』 とか私の嫌いな言葉ですし、それにお話の内容も、このお話ってセイラさんの自分史?
みたいに感じて、なんだかなぁ~って思いながら読み進んでいったのです。
 
ところが読み進めていくうちに・・・ん? セイラさん! もしかして、遠隔操作透視の目とやらで私の心の中を覗き見してませんか? 
と思われるほど、そうなのよ・・・ホント・・そうなのよねっ・・と、現実と物語がうまく入り混じってるような不思議なその世界に引き込まれている私がいたのです。
 
物語の後半からぐいぐいと引き込まれて、読み終わった後は、最初に感じた、何だかなぁ~と思ったお話も、生きてる内容に感じられ、何かしら一体感みたいなものが残っておりました。
 
本を読んで初めて感じた体験でした。
 
それと、セイラさんのあとがきも、今どきの、社会情勢をしっかりと見つめられて、感じてらっしゃる感性に心惹かれました。
 
青い鳥は自分の心の中にあると思います   幸せは心の持ち方で感じるものではないでしょうか? 辛いという字に一を足すと幸せという字になるように、たったひとつの見方を変えたら・・
 
 
ぼーちゃん、主題に迫るご感想、ありがとうございました。
どうやら 「見方を変える」 というところに幸せのヒントがありそうですね。
また、作者と読者の間に生まれる一体感とは、作者冥利に尽きるお言葉です。 重ねてありがとうございます。
ぼーちゃんと、ぼーちゃんに出会わせてくれた池ちゃんに、感謝!

 

 

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小説の森で - 8.小説の命

 菊池寛がこう言ったことがあります。

 「作品がうまいと思いながら心を打たれない、まずいと思いながら心を打たれることがある」と。その言葉に接した時、それは結局どちらも優れた小説とは言えないということだと、私まず思ったのですが、それだけでは片付けられないような、ひっかかるものが感じられて、ずっと心に残っていました。

 

 菊池は、芸術的価値を重視する文壇文学に対して、小説はもっと実人生と密接に交渉すべきだと、内容の生活的価値の重視を主張しました。そこで頭に浮かんでくるのは、もうひとりのテーマ小説の書き手である芥川龍之介です。

  芥川こそ、まさに芸術的価値を重視する作家でした。私は彼の羅生門を読むと今でも惚れ惚れて、ああ、一作でいいから、こんな完璧な芸術品を作り上げてみたいものだと思ったりします。

 けれど菊池の言うとおり、その感動の主体はどうも、「上手い!」ということや、「場面の凄まじい美」にあるのであって、テーマの投げかけている主張は理解できるものの、なぜかその点に心を揺さぶられる感じがしないのです。

 

 生活的価値を重視した菊池は、社会性のある素材を、簡潔平明な文体で、くだくだしい心理性格解剖などに道草することなく、現実的・常識的・具体的な思考をもって、読者が直ちに興味の中心に入れるような小説を書きました。彼の小説は大衆の心を掴み、文学大衆化の先駆けとなったのです

 

 けれど、菊池の作品もまた、真に「心を打たれる」と言えるだろうか? と、私には ? がつくのでした。志賀直哉の作品と読み比べてみてください。違いが分かると思います。

  あれから何年、何十年もの時が経って、緋野は読む人間から書く人間に変わり、ようやく分かりました。小説でも何でも、文学作品にとってもっとも大切なのは、そこに作家自身の生きた血が通っているかどうかということだと。私小説という意味ではありません。作家の魂がそこに生きていて、切ればどこかから作家自身の熱い血が流れ出してくるようなもの、ということです。

  それが小説の命です。

 

 そう思って故人の言葉を思い出してみると、その意味することが、とてもよく分かります。鴎外は、「どんな芸術品でも、自己弁護でないものは無いように思ふ」と言い、漱石は、「徹頭徹尾、自己と終始し得ない芸術は、空疎な芸術である」と表現し、ボーボワールは、「文学は読者が作者の肉声を聞きとる瞬間に始まる」と言いました。みんな同じことを言っていたのです。

Amazonにいただいた「青い鳥のロンド」レヴュー

自著の売れ行き調べのついでに Amazon を覗いてみましたら、まあ、嬉しい! どなたかが

レヴューを載せてくださいました。 しかも、☆ 5つ! 

こういうものってきっと友達とか身内だろうと思われがちですが、正直、私の知らない方です。

(? 私が知らないだけで、ひょっとしたら予約者さんのうちのどなたかかもしれませんけれ

 ど、私のところに、「載せたよ」という連絡は来ていません)




     男性こそ読んでください   というタイトルです。

家庭と仕事の間で揺れる30歳の既婚女性4人。

仕事にかける思いがある。家庭に対する思いがある。

そんな彼女たちの4者4様の悩みは今を生きる共働き夫婦のひとつの姿だと感じ

ました。 私は未婚ですが、彼女たちが抱える仕事の悩みには共感するものがあ

りました。同世代の家庭をもつ女性、働く女性はもちろんですが、家庭のある男

性にも是非読んでもらいたい一冊です。



カスタマー さんとありましたので、やっぱり Amazon で買ってくださった方でしょうか?

私は自分の小説へのレヴューを集めて大切にしていますので、Amazon 掲載のものも、

このブログにいただいておきます。Amazon で公開されているのですから、いいですよね? 

もし Amazon からクレームが来るようでしたら、すぐに削除いたします。

お名前が分からなくて残念ですが、カスタマー さん、ありがとうございました。

緋野晴子著「青い鳥のロンド」え!売り切れ?!

 

小説「青い鳥のロンド」の出版から、あっという間に一か月以上も過ぎていまし

た。心に引っかかっていた考えたくない疑問 (売れているのかな?) に向き合

うべく、本を平積みにしていただいた、いくつかの書店をそっと覗いてみました。

すると、早くも店頭から消えている書店、まだ置かれているけれども売れていな

い書店、ほんの少し売れただけの書店、総じて厳しい現実に、また心が萎えそう

になるのでした。

 

ところがそんな中、最後に行った書店で、自分の目を疑う光景に出会いました。

え! 売り切れ?  って、これ、夢じゃないよね??? と思わず目をこ

すってしまいました。

 お店の方に許可をいただいて撮ってきたのが、この写真です。

 

イメージ 1

 

ね、夢じゃないでしょう? 皆様もびっくりですよね。

しかも、上にあるのは何かの大賞受賞作、その隣はNHKのドラマ化作、目を下

に戻せば右隣は45万部突破作、左隣にはなんと、かの有名な芥川賞作家のお顔

があるじゃありませんか! そう、「劇場」の隣です。

まあ! まあ! よくぞこんな場所に緋野晴子の「青い鳥のロンド」を置いてく

ださったものです! 

しかもこんなに大きな広告ビラまで作ってくださって! 感激以外のなにもので

もありません。

 

この書店がこうまでしてくださった理由を考えてみました。写真の下の方をご覧

になれば分かると思いますが、1つは緋野の在住地に近いということでしょう。

この書店さんは、東三河地方にある某書店です。そしてもう一つはやはり、書店

回りをした時の、緋野の小説内容の説明に感じていただけるものがあったからだ

ろうと思います。

 

それにしても考えさせられたことは、本が売れるか売れないかということは、ま

ずは内容の良し悪しよりも、書店さんの売り方如何にかかっているのだなという

ことです。

同じ平積みでも、平積み本が無造作にきちきちに詰めて並べられているところで

は、緋野の本は売れていませんでした。

(せっかくの帯のキャッチコピーも、白字で読めない状態でしたしね)

対して、大きな広告ビラがついて、良い場所に置いていただければ、売り切れに

なるのですから。

 

 小説は最後まで読んでみなければ良し悪しの分からない商品ですから、まずは興

味を惹くことが肝心なのだと、これは創作におけるタイトルや書き出し、製本段

階における装丁デザインやキャッチコピーにも通じることだと思いました。

(もちろん、大きく売れていくには、内容に大衆の心を掴むものがなければならな

いでしょうけれど)

その点、今回の出版には、いろいろ反省点があったように思います。

 

 ともあれ、売り切れ は有難い出来事でした。

いろいろなハプニングがあり、出版全体を通じて萎えがちだった心が、この一事

で、ピーンと元気になりました。 

 

 書店さん、ありがとうございました。